統一協会問題と全米祈祷朝食会ーザ・ファミリー

 一連の「統一協会問題」の曝露を見ながら、このドキュメンタリー映画のことを思い出していた。
『ザ・ファミリー 大国に潜む原理主義』(1)。
 全米祈祷朝食会を通じて、国会議員はもちろん、共和党や民主党の大統領にも、いや世界の指導者にさえも影響力を及ぼすダグ・コー率いる「宗教団体」の活動を追ったものだ。この「宗教団体」が掲げる主張は原理主義と言われるが、一見、何気ない家族や愛という当たり前の概念が繰り返されるだけ。統一協会のような極端な表現ではない。しかし、その内実は、性的な役割分業を決めつけ、支配的価値観をじわじわと強化する、結果としては白人男性を中心とした政治権力の維持、原理主義的と言わざるを得ないような保守的な価値観へと社会を閉じ込めていく。 “統一協会問題と全米祈祷朝食会ーザ・ファミリー” の続きを読む

京都市アグロエコロジー宣言

 京都市の市政に実現すべき課題を市民グループが協議して提案する活動を行っている。その1つの議論の場に出させていただき、その討論会での議論で、京都市の学校給食をオーガニックにすることをめざそう、と京都市長選への出馬を予定している福山和人さんが発言し、ご自身のマニフェストにも組み込んだ。そしてそれが1つのチラシとなった。
 「京都市アグロエコロジー宣言」。

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すべてを変える

 あまりの多くの問題が生み出される状況を嘆いていないだろうか? なんでこんなに強い台風に苦しまなければならないのか? なのに根本的な対策となる政策は何も発表されないのはなぜ? さらなる災害が危惧されているのに政府からは根本対策は何も出ず、なぜ、その今、巨額を投じてオリンピックをやるのか? 原発が爆発したのになぜ、再稼働されるのか? どうしてこれだけの被害を出しておきながら一人も責任取る人がいないのか? なぜ、不正を続ける政治家が辞めもせずに支持率があがるのか? なぜ収入は増えないのに税金だけが上がるのか? 水道も種子も教育も福祉もなぜすべて民間企業のビジネスにされてしまうのか? なぜ、日本では企業のための政治がどんどん進むのか? なぜ、差別を煽る人が増えて、政治もメディアもそれを拡大させるのか? 問題がありすぎて、問題に対して感覚が麻痺してくる。どうせ問題にしたって変わらない。われわれには変える技術も能力もあるはずなのに、それに取り組む政治がないから実現できない。でも、変えることはもう不可能。できるのはぐだぐだ愚痴を書いて発散するだけ? 他人を批判しているのではない。自分の日常を書いている。 “すべてを変える” の続きを読む

Rio+20は何であったか?

日本環境法律家連盟の『環境と正義』(2012 10/11)に寄稿させていただいた。環境と法律の専門家の人たちと人びとをつなぐ貴重な存在として、これまでも『環境と正義』にいろいろ学ばせていただいている。ぜひ購読会員になることをお勧めしたい。購読申し込み

寄稿文章のブログでの公開の許可をいただいたので、その文章をここに掲載する。貴重な機会を与えていただいたことに感謝したい。
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ブラジルへの旅、ちょっと顧みる

ブラジルに多くのNGO、市民運動関係者がやってくるのは20年ぶり。何を感じてくれたかとっても気になる。

ブラジルや南米の運動の魅力は何かと言われると、ひと言でいうのは難しいけど、日本では抽象的な思考の中にしか存在しないことが実際に実践されているということではないか、という気がしてならない。

しかし、たとえば資本主義から離脱しよう、というと日本ではひどく古びたスローガンかイデオロギーだと言われるのが筋だろう。日本では何やかにやの保護がベールになっていて、結局、資本主義の本質が曖昧にされてしまう。そこに多くの人たちが疑問を感じることは少ないかもしれない。でも逆にここブラジルや南米ではその保護が存在しない。多くの先住民族や小農民は露骨な暴力を多国籍企業やそれと一体となった大地主勢力によって日常的に受けている。彼らが資本主義の終焉をと叫ぶのは決して抽象的な絵空事ではなく、毎日繰り広げられる日常の叫びと言えるだろう。

実際に連帯経済という実践をブラジルの民衆運動は作り出したし、今や連帯経済は小さな草の根運動であることをやめて、国をも巻き込んで社会の大きな実体あるものとなりつつある。いわゆる企業中心の資本主義社会とは異なる道を作り出しつつある。そんな彼らの実践を見るのは楽しいし、未来を感じる。

一方、日本ではそうした動きはまだまだ弱いし、企業のプレゼンスがあまりに大きく、無意識のうちに企業的思考にマインドコントロールされてしまう。頭の中をいったんリセットして、あるがままの動きを感じてくれれば得るものは大きいに違いないのだけど、もし、頭の中にある日本の図式を南米にあてはめるとしたらあまりに悲しい結果になってしまうだろう(日本に限らず北の側の市民に陥りやすい構図)。

ピープルズ・サミットの全体集会に参加して、その民衆力とでもいうべきエネルギーに触れて、その力の大きさをあらためて感じた。たぶん、首相官邸を埋め尽くす人びとも同じものを感じたのではないかと思う。南米では民衆運動はその力をすでに向ける方向を定めていると思う。その方向を語る言葉としては日本語では陳腐な響きしかないかもしれないけれども、すさまじく大きな流れになっていると気がつけば気にもならなくなるだろう。それを日本に持ち帰ることができたらこの旅には意味があったことになる。

「国民」ということばを使う前に

最近、やたらと「国民」ということばを目にすることが多くなった気がする。

このことばが歴史的にどんな問題をはらんでいるか共有されることが最近少なくなっているのかもしれない。

そこでこのことばの使われてきた経緯を振り返りながら考えてみたい。

日本国憲法で改ざんされた people

戦後政治でいわれる「国民」の基礎はやはり日本国憲法前文だろう。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。「日本国憲法前文」

私が日本国憲法にどんな態度を取るのかというと、戦後民主主義の源泉として、尊重することは言うまでもない。しかし、すべてあるがままに受け取ることはできない部分も存在する。憲法制定過程の中でないがしろにされ、きわめて貴重なものを封じ込めるような形で日本国憲法が生まれてきたからだ。しかし、そう読み解くことは決して、日本国憲法そのものを否定することにはならないだろう。むしろ日本国憲法が生まれてきたその時代の精神、要請を引き受けることになると信じている。

「国民」ということばは「国」と「民」という二つの文字から成る。国家を意味する国と人民を意味する民ということばを結びつけた外国語はあるだろうか? nationalということばが思い浮かぶかもしれない。それでは有名なリンカーンのことばとされる government of the people, by the people, for the people の people を national で代替するとどうなるだろうか? たぶん、このことばの輝きは失われてしまうだろう。

民主主義思想はリンカーンや米国の歴史に固有なのではない。人権思想と民主主義の思想は欧米白人社会の独占物ではなく、先住民族の社会のあり方こそがむしろ君主制に支配されていたヨーロッパの人びとを刺激して、自由主義思想が生まれた、という魅力的な説もある(星川淳『魂の民主主義―北米先住民・アメリカ建国・日本国憲法』)。戦後の日本は人類普遍の原理として民主主義を受け入れる、というのが憲法前文の意味しているところであり、根本的に重要なところだ。

この憲法が制定される過程を歴史家ジョン・ダワーは、以下のように描く。

反動的な修正の動きとしては、政府や国会は、在留外国人法に基づいて外国人にも平等な保護を提供するという条項の廃止に成功し、GHQの当初の意図を掘り崩した。この動きの基礎は、佐藤達夫が、翻訳マラソン直後の数時間で作り上げたものである。彼はこうした保護の提供は憲法草案の他の個所で保障されているから重複であるという理由で問題の条文の削除を求めるという、民政局にとって一見あまり重要でないように見える要求を行った。アメリカはこれを承認したが、それは日本側が訳文づくりを通して進めていた草案の骨抜きによって、他の保護条項から外国人を締め出していたことに気がつかなかったからであった。ここで鍵となる言葉は「国民」であり、これは憲法にいう「the people」をよりナショナリスティックな意味へと近づけるために選ばれた言葉だった。そもそも、保守派が「国民」という言葉を使ったのは、人民主権の意味合いを弱めるためだけでなく、国家が保障する権利を日本国籍を持つ人々だけに制限するためでもあった。アメリカ側は「すべての個人all persons」が法の前に平等であることを認めさせようと意図しており、GHQ草案の中には人種や国籍による差別を明白に禁止する文言が含まれていた。しかし佐藤たちは言葉のごまかしを通じてこのような保障を削除してしまったのである。「国民」とは、「あらゆる国籍の人々all nationals」のことだと占領軍には主張し、それによって実へ政府は、台湾人やとりわけ朝鮮人を含めた何十万という旧植民地出身の在日外国人に、平等な市民権を与えないようにすることに成功したのである。この修正の持つ露骨な人種差別性は、その後の国会審議での「用語上」の修正をへてさらに強化されていった。これが1950年に通過した、国籍に関する差別的な法案の基礎となったのである。(『敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人』 ジョン・ダワー、P159)

年表的にざっとたどってみると、1947年5月2日、日本国憲法が発布される一日前、最後の明治憲法下での政令で「外国人登録令」が発布され、それまで植民地化によって日本国民とされてきた朝鮮人、中国人(台湾人)を「外国人とみなす」と一方的に国籍を否認し、戦後民主主義の権利者から排除した。これは火事場泥棒的な暴挙であった。

当時は朝鮮半島や台湾、中国での主権がまだ確立しておらず、その意味では在日朝鮮人、中国人(台湾人)は潜在的には2重国籍を持ち、祖国での主権回復と共に自らの権利と国籍を選び取る権利があったはずだ。

戦後政治の中で、外国人に対する人権の保障は徹底的に無視された。人には生まれながらにして人権があり、それを国家は保障しなければならない、というのが近代民主主義の考え方であり、日本国憲法もまた「人類普遍の原理」に基づくものであるとすれば、戦後の歴史に見るものはそれからのまったくの逸脱である。人権を認めるか否かは、国家の判断である=法務省官僚が決める、というまったく民主主義とは相いれないものへとねじ曲げられていってしまった。

日本の敗戦はなによりも、民主主義を学び直す機会であったはずだ。戦後の歴史の中で主権者である「国民」とそれから排除される「外国人」という分断を許してしまった私たち日本人たちは残念ながら外国人の処遇の問題を自らの民主主義の問題として受け止める感性を育てることができなかった。

官僚が「外国人」への生殺与奪の権利、すべてを決める権力者として存在し、それを主権者たる「国民」が何のチェックもないまま長期においてのさばらせてしまったことの結果として、日本の官僚支配は世界に類をみないものとなってしまった。そして、官僚支配が現在の日本の社会的な停滞をもたらした。これはすべての日本人にとって大きな損失となった。

主権者として、自由を享受し、権利を行使すべきであった私たちはその本来の自由や権利を享受することなく、官僚に決められた枠の中で動くことが民主主義と勘違いして生きてきた。

戦後政治の中で「国民」とはこのようなことばとして確立してしまった。

そもそも近代国家が生まれる前から民はいた。また近代国家を形成していない民もいる。また今後、世界のグローバリゼーション化によって「国民」のカテゴリーに入らない隣人は増えていくだろう。「国民のための国家」では、そこに含まれる人たちと排除される人たちの間で社会が分断されてしまう。豊かな社会を築くことがあらかじめ閉ざされているということにならないだろうか?

主権者とは民主主義を成立させるもっとも根本的な存在だ。その主権から特定の人びとを排除するということがその民主主義にとってどれだけ危険なものであるか。だからこそ、民主主義を宣言した日本国憲法を正しく読むためには、われわれは「国民」ということばに依拠するわけにはいかない。

在日外国人への権利を否定している日本の政治への疑問が一般の日本人の中に芽生えてきたのは、在日外国人による長い闘いがあってこそであり、日本人の中でこの問題を担ってきた人びとは残念ながらきわめて少数派であった。

「国民」のオルタナティブは?

それならば「国民」に代えてどんなことばを使うのか、という話しになる。実際に、オリジナルの「人民」にすればいいかというとなかなかそうはいかないだろう。しかし、試しに、日本国憲法全文の「国民」を「人民」に書き換えて読み直したらどう聞こえるかは一度試してみていい。

まず、この社会に住む人びとが主権者であり、その人たちのために国家を機能させるのだ、ということがイメージできなければどんなことばを用いても変わりないだろうから。

現在私たちが持っているボキャブラリーはあまりに限られているかもしれない。たとえば、「市民」はよく使われる。なかなかいい響きのことばだと思う。でもどこか特殊西洋的で、お高く止まっているという感じがしなくもない。それに対して「民衆」ということばは文学的だけど、「市民」ほど西洋的刻印は少ないようにも思える。しかし、たとえばチラシをまくのに、「民衆のみなさん」とか書けない。一方、「住民」はそのような気取りはない。しかし「住民運動」と書けば、一定の限定された運動しかイメージしてもらえないかもしれない。

どんな文脈にもしっくりすることばは私は残念ながら今のところ思いつかない。しかし、書くときは必ず「国民」ではないことばで表現しようと思う。また同時に憲法制定時に日本の保守勢力がGHQを欺く方便として使った「『国民』とは、『あらゆる国籍の人々』」(上述)をだまし文句で終わらせるのではなく、社会のあらゆる場面で実現していくことも必要だろう。Peopleの訳語に困る苦労はこの日本の特殊な歴史ゆえであり、克服するのは1つの歴史的な事業だと思う。

それは主権者としての私たちを確立するプロセスだろう。