一連の「統一協会問題」の曝露を見ながら、このドキュメンタリー映画のことを思い出していた。
『ザ・ファミリー 大国に潜む原理主義』(1)。
全米祈祷朝食会を通じて、国会議員はもちろん、共和党や民主党の大統領にも、いや世界の指導者にさえも影響力を及ぼすダグ・コー率いる「宗教団体」の活動を追ったものだ。この「宗教団体」が掲げる主張は原理主義と言われるが、一見、何気ない家族や愛という当たり前の概念が繰り返されるだけ。統一協会のような極端な表現ではない。しかし、その内実は、性的な役割分業を決めつけ、支配的価値観をじわじわと強化する、結果としては白人男性を中心とした政治権力の維持、原理主義的と言わざるを得ないような保守的な価値観へと社会を閉じ込めていく。
社会からその存在が見えなければ見えないほど、その力は強くなる。これほど強大な権力を行使しながら、その存在を知る人が世界にはわずかしかいない。実際に最近、社会が勝ち取った民主的権利が奪われることが米国で起きた。約50年前に確立した中絶の権利を最高裁が否定した。これだけではない。避妊や同性愛者の権利まで今後、攻撃されていくかもしれない(2)。あの米国で民主主義がここまで後退することをどう想像できただろうか?
この動きは米国に先立ち、世界各地で展開された。ダグ・コーは世界の指導者にも手を伸ばしており、米国よりも先に米国外でこうした動きは先行した。各国でこの原理主義勢力の存在は侮れないものとなっている。ブラジルで極右大統領が誕生した背景は複雑だが、その1つは確実にこの原理主義勢力の存在がある。攻撃されているのは民主主義そのものだ。
統一協会の問題は霊感商法の被害と自民党の一部の議員の癒着のレベルで語れる問題ではない。統一協会は米国で相当なお金を使っており、当然、米国での原理主義強化とも関連は当然あるだろう。今、世界に広がったこうした原理主義的な動きで世界が脅威を受けていると言わざるを得ないのではないだろうか? 残念ながら日本はその大きな資金源になっていたということか。
果たして、この原理主義とは何なのか? このドキュメンタリーはこのダグ・コーの勢力が宗教の衣をまとっているけれども、肝心の聖書に疎いことを見抜く。単に宗教活動であると見せかけているだけで、宗教性など持っていない。保守的な価値観と権力の押しつけこそがその実態であり、それを聖書を活用することであたかも普遍的なものとして見せかけているだけに過ぎない。そして宗派さえも超えて世界に影響力を及ぼそうとしている。
価値観を押しつけるといっても、そこに確固とした理念や思想があるわけでもない。彼らは理想のために活動しているわけではない。価値観を押しつけることは権力を守り、金になる、ただそれだけだ。そこに何の宗教性も思想性もない。その中身はからっぽだ。
統一協会もまったく同様だろう。なぜ、統一教会ではなく統一協会と書くかというと、実際に名前は協会だったし、教会と書くことであたかも宗教団体のように見せかけることにつながりかねないからでもあった。あの教義をキリスト教と感じる人はキリスト教を知らない人だろう。
問題なのはこうした勢力がこの全米祈祷朝食会や統一協会に留まらないことだ。原理主義勢力が蔓延る原因は、新自由主義の裏返しなのではないか? つまり、これまで人びとの政策を支えてきた公共政策のほとんどが民営化されてしまう、水道も教育も病院も福祉もタネも、本来公共政策が支えてきたものが、民間企業の儲けの源に変えられてしまう。人びとの生活が危うくなり、不安にさらされる人びとの心を原理主義が侵食する。差別や排外主義を煽りながら。日本ほど時計の針が戻された国は他にないのではないか? 今や、私たちの食生活までにも原理主義が忍び寄ってきている。その勢力の名前や団体はさまざまだが。
しかし、安定した公共政策が維持されるところにこうした原理主義が忍び寄る余地はない。統一協会やその類似した勢力につけこまれないように、人びとの公共圏、共に生きる権利を民主的に守る公共政策を復活させることが今、不可欠であり、急務だと思う。
(1) 『ザ・ファミリー 大国に潜む原理主義』(2019)
https://www.netflix.com/title/80063867
(2) 妊娠中絶だけじゃない 連邦最高裁が次々落とす「爆弾」、作り変えられるアメリカ
https://globe.asahi.com/article/14681449