政治オンチなノンポリが政治的なことを書くとすべるけど、安倍政権がもたらしたものについて、これはけじめを付けなければならないということで、ちょっと書いてみます。大目に見てやってください…。
長きに渡った安倍政権が終わるということで、この政権がもたらしたものは何であり、その終わりを迎えるにあたってわたしたちはどんな課題があるのか、確認しておく必要があるだろう。
この政権がもたらしたものは、日本社会が自立した社会となる最後の根拠をつぶそうとした、さまざまな「改革」だった。
戦後の日本は米国の実質的支配の下で、食の分野であれば、大豆、小麦、トウモロコシなど戦略的に重要な食料を米国から買うことを前提に政策が組まれていた。軍事的だけではなく、食の分野にも日米安保体制が組み込まれていた。
それがさらに安倍政権によって、日本の食を米国を中心とした多国籍企業に取り込む体制が強化された。モンサント(現バイエル)などの要請に応えて、日本の遺伝子組み換え作物の承認プロセスの簡略化がこの間に進んでいる。米国で承認された遺伝子組み換え作物の一部はそれまで必要とされていた日本での栽培実験を省略して一括スピード承認されるようになった。米国内ですら反対が多くてなかなか承認できなかったベトナム戦争で使われた枯れ葉剤の主成分の1つである2,4-Dや揮発しやすく生態系に与える影響が甚大なジカンバに耐性のある遺伝子組み換え作物は日本では安倍政権の下、米国政府よりも数年早く次から次へと承認されていった。
そして、米国政府と多国籍企業の圧力の下、日本での遺伝子組み換え食品表示(NonGMO表示)は2023年以降、実質不可能となり、「ゲノム編集」作物はタネから加工食品まで何も表示も義務付けずに自由に栽培し、流通できるようになってしまった。食を支える公的な卸売市場も企業に売り渡され、生産から流通まで企業のものになりつつある。世界で規制に向かう農薬は次から次へと規制緩和され、環境と健康の破壊が進んでいる。
もっとも深刻なのは最後に残された米だろう。これまではなんとか米などを中心とした生産が日本社会を自立社会として存続する上での最後の根拠になっていた。これが壊されつつある。2017年4月に決定された種子法廃止がその動きの序章であり、今後の臨時国会で行われようとしている種苗法改定がその第2弾である。すでに多くの戦略的物資はすべて米国が押さえ、最後の抵抗線が米。これまで米を支えてきた公共種苗事業の根拠となる法体制は壊され、今後、民間企業、多国籍企業への転換が進められようとしている。タネを握られれば自立した社会を築くことはできない。
米国による支配への従属的な一体化をあらゆる場面で、それとは意識させずに進めたのが安倍政権の本質であった。マスメディアの支配がそれを可能にした。歴代政権ですら、守り続けた日本社会がよって立つ根拠すら壊すことに躊躇をみせなかった政権こそ、安倍政権であっただろう。
その結果、何が生まれただろう?
かつてないほど、危険な社会となった。そして、底抜けの社会になりつつある。いくらがんばって稼いでもその利益は吸い取られ、地域に残らない。人びとはさらに貧しくなる。多国籍企業と一体化した一部のものだけが富裕層として残るのみ。
しかし、それは成功したのか? 全然、成功というにはほど遠い。とてもじゃないけどまともに動いていない、機能していない。移行は進んでいるのか? いや止まりつつさえある。ここから作り直すことは不可能ではない。
ただし、次期首相と目される菅官房長官は安倍路線の継承を掲げる。その点、完全放り出しになったわけではない。安倍首相のために機能しなくなっていたものが今後の政権で修正され、仕上げをされてしまえばもう本当にお終いだ。今こそ真剣にこの失われた年月で奪われたものを再確認する必要がある。
日本を今、変えるために必要なキーワードは「地域」「公共」「連帯」だろう。自立した地域を作る人びとの連帯の輪は今、イデオロギーの枠を超え、急速に広がりつつある。マスメディアに報じられることはなく、その姿はまだ多くの人には見えていないかもしれないが、今、日本の全国各地で生まれつつあると言っていいだろう。それらが結びつくとき、日本は確実に変わる。希望は生まれている。