「NHKをぶっ壊す」は民主主義をぶっ壊す

「NHKをぶっ壊す」だと? とんでもない。

 といってもNHKには僕も怒っている。ニュースは政権広報そのものだ。そればかりじゃない。従軍慰安婦の特集が安倍の圧力で書き換えられたが、それだけではない。ブラジルのセラード開発で苦しむ人びとの声の特集番組を作りたいということで協力したら、NHKが作った番組はセラード開発礼賛番組に変わっていた。上からの指示で変えられたという。

 現在のNHKに対する不満は大きい。だから「ぶっ壊す」と言われると、すっとする人たちは多いだろう。でもNHKの代わりに「公共財産」を入れたらどうだろう?

「公共財産をぶっ壊す」

 とんでもないことを言っていることになる。でも本来、NHKとは公共放送をめざして作られたものであり、数々の優れたドキュメンタリーも作り続けてきた。政権広報に堕してしまった状況は深刻な問題だが、それでも優れたドキュメンタリーを作ることができる人びとがいる組織(組織外部の人も含め)は公共財産そのものである。

 これをぶっ壊せばどうなるか? 公共の資産が失われ、営利企業の餌食となる。本格的な調査ジャーナリズムの息の根を止めることができれば政府にとっても過ちを暴かれるルートがまた1つ減る。

 この主張が自民党のこの間の動きと軌を一にしていることがわかるだろう。

郵政事業をぶっ壊す
種子事業をぶっ壊す
卸売市場をぶっ壊す
水道をぶっ壊す
森林をぶっ壊す
漁業権をぶっ壊す
教育をぶっ壊す

 国鉄もぶっ壊されているし、自民党をぶっ壊す、というのもあった。もはや今の自民党はかつての自民党ではない。

 そのつけはすべて人びとにおしかかる。そのおかげで多国籍企業が自由に利益をむさぼれるようになる。多国籍企業は公共事業がある限り、それはできない。だからぶっ壊させる。それも人びとの反感を募らせて、壊させる。自分の手は汚さない。

 特に政権広報化している問題をどう変えていくかは重大で、深刻な問題だが、その問題とNHK全体の公共性をぶっ壊すこととは次元が異なる問題でいっしょにすることはできない。視聴料も貧乏人には高すぎる。政府との関係、さらには組織としてのあり方については、大きな改革が必要だろう。でも、それはスクランブル放送にして公共放送であることを止めさせることで解決できる問題ではない。

 結局、「NHKをぶっ壊す」は最終的には民主主義をぶっ壊す。基本的人権をぶっ壊すがその行き着くところだろう。もう、あの人びとには退場してもらうしかない。

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