福島東電原発事故の後、家族は沖縄に避難した。連れ合いと息子はどちらもステロイド治療をしており、免疫が人一倍弱い。その状態にわずかの被曝でも危険と考えざるをえなかったから避難するようお願いした。
沖縄と日本との関係を長く考えてきたつもりだけれども、このような形で沖縄に関わることは想像していなかった。琉球処分、日本の軍国主義の犠牲となった沖縄戦、そして戦後の基地の押しつけ、その上に家族の避難。本当にいいのか、何度自問自答したかわからない。しかしそれしか選択は見つからず、それ以来、沖縄と原発の問題、そして自分がどう関わるのか、問われ続けている。
一方、東電原発事故による放射能汚染という事態。避難できない高汚染地域の住む人びとのことを考えると胸がさらに苦しくなる。
沖縄と放射能汚染被曝者の両方の支援になることはできないのだろうか? もし、沖縄に十分な農業生産余力があり、被災地の子どもたちに安全な食料が提供できればそれはそれで両方の支援になりうるかもしれない。しかし、沖縄の農業自給率は低く、沖縄の食料を被災地に送れば、逆に沖縄に安全とは言い難い農産物がなだれ込んでしまうことになってしまう(実際には一時的に消費量を超す収穫期の時もあるからその時も被災地で消費してまずい、ということにはならないだろうが、全体の構造としては沖縄の農産物を被災地に、というアイデアはNGだろう)。
実際に沖縄で原発で働いていたという方にお会いしたこともある。職がないため、沖縄には原発がないのに、他の県の原発に出稼ぎで働きに出なければならない現実が沖縄にはある。さらに少なからぬ人が沖縄に避難している。厳しい経済状況の中、自立に向けた経済の強化は避けて通れない。
沖縄の農家の高齢化の現状は厳しい。近年では台風被害による借金で自殺する人も少なくないという。離農者が増え、農地が放棄されるという現状もある。特に北部地域の農家の現状は厳しいようだ。
それならばその農家の現金収入となって、農家の経済基盤を強化して、離農者を減らし、沖縄の農業自給率を上げるようなことはできないのだろうか? (もっとも、こちらができることは両方の支援が可能な形での提携関係を作るなどの提案であって、よそ者が沖縄の農業をどうのこうのしようということではない。決定権が沖縄の農家の方たちにあるのは言うまでもない)。
可能性のあるものとして薬草を考えた。沖縄は薬草の宝庫。抗酸性物質に富み、ガンなどにも効果がある薬草が多い。薬草であれば沖縄で必要な分以上の生産余力はあるのではないか? これを被災地に提供できば、放射能被曝で傷ついた体を少しでも回復させ、免疫力を強化することができるのではないか。もちろん、薬草で放射線被曝が防げるわけはなく、高汚染地域からは避難する以外にないと思う。しかしここまで汚染が広がると東日本の広い範囲が危険地域であり、全員が避難することは不可能だ。抗酸性物質の摂取はそんな状況の中で体の被害を最小限に留める有効な手段だと思う。
もし薬草栽培の収益で生活基盤を支えることができれば、他の自家消費あるいは地元消費の農産物を作ることができれば自給率もあがる。経済基盤が安定すれば離農者は減り、農業生産も増やせるのではないか。
まずヨモギエキスに注目した。沖縄はヨモギの一大産地だ。ヨモギは薬効が高い。ガンとの闘いの中で体の免疫力を付けるために活用されている方も少なからずおられるようだ。ヨモギを加工した上で東日本などに送るのであれば野菜を運ぶのに比べ、比較的安価に運べるし、長期保存も可能で、加工賃も沖縄に落ちる。
しかし、現実は厳しかった。ヨモギ農家の声を聞いたが、ヨモギエキス用の原料としてはその買い取り価格は低く、農家にとっては到底満足な収入にはなっていない(野菜用のヨモギの価格はまだましらしい)。現状では沖縄のヨモギエキスの生産を増やすことは難しく、できたとしても現状の買取価格では沖縄のヨモギ農家の支援というにはほど遠い現実がある。現状の市場価格よりも高い価格で買い上げたり、生産インフラを強化できる資金を提供する力があれば別かもしれないが、今すぐそれをやることは不可能だ。
さらにショックだったのは昨年のちょうど今頃である。2011年から2012年にかけて沖縄は極度の日照不足に襲われた。ヨモギの不作が続いた。ヨモギエキスは沖縄の薬局ならばすぐみかけるものなのにそれが見当たらない。ようやく見つけても1家族1本という制限付き。
驚いたのはその価格だ。以前は1300円くらいで売っていたのに、生産不足が続くのに逆に安い980円で売っている。経済的には生産不足なのだから値段を下げたらこれは生産者には大いに打撃だろう。収入が激減となってしまう。買い手市場になってしまっていて、生産者側に有利な値段が設定できていないように思えた。
このような状況ではさらに離農者が増え続けてしまうだろう。買い手市場のマーケットが強いる価格ではなく、農業生産者がやっていける価格を保障し、天候や台風などの災害のリスクを社会が共有する仕組みが作れない限り、生産者を増やしたり、生産を拡大することは難しいだろう。この状況を変えなければならない。でも、どうやって?
そんな困難な状況の前に、有効なことができず、あっという間に一年が過ぎてしまった。この間にも、被曝が進み、子どもの甲状腺の異常をはじめ、さまざまな問題が報告され始めている。
沖縄に対してはオスプレイの配備が進められてしまい、さらに高江のオスプレイパッドの建設、さらには辺野古の軍事基地のための埋め立て申請までが行われようとしている。
原発事故犠牲者と戦後安保体制の犠牲となる沖縄の狭間で自問自答ばかりしていても進まない。前に進まなければならない。しかし有効な手段がまだ見つからない。この原稿も次へのステップが見つかることを前提に一年前に書いて、手立てが見つからないまま草稿箱に入ったままになってしまった。まずは自分の現状を曝して、批判を乞う。その中で何か有効な道が見つかることを願って。