Google翻訳やDeepLなど機械翻訳の精度が急に上がってきた。これまで実用となったのは言語のルーツが近い言語の間の翻訳に限られた。たとえばスペイン語から英語。日本語と韓国語との相性もいい。一方、ヨーロッパ語から日本語へは使えたものじゃなかった。笑いのネタにしかならず、翻訳作業の下準備にも使えなかった。でも、それが急に読める日本語になってきて、ほぼ使えるレベルになった。最近も長いポルトガル語の論文を日本語に翻訳したのだけど、それも機械翻訳で下訳させたものに手を加えた。時々、GoogleもDeepLも意味を取り損ねるケースがあるものの、作業効率は格段に上がった。
このまま精度が上がれば、もう翻訳という行為は機械翻訳で済んでしまうのだろうか? いや、これは危ない。もし、それに任せれば、とんでもない事態に陥ることもありうると思う。極論すれば支配的価値観によるマイノリティ文化の抹殺、異なる価値観の抹殺、実現できるはずの未来が失われることも起きてしまいかねないのではないか。 “機械翻訳と人による翻訳の違い” の続きを読む
父の仕事
2月11日に旅立った父親の告別式が昨日終わりました。実家に行くと、父が残していた記録が出てきて、それをなんとか残しておきたいと思いました。父親は橋の設計技師で災害で流されるなどで失われた橋の応急橋を設計し、実際に設計だけでなく建設の現場に足を運んでいました。 “父の仕事” の続きを読む
父が旅立ちました。
父、印鑰 烜(いんやく あきら)が2月11日17時頃、旅立ちました。88歳でした。 “父が旅立ちました。” の続きを読む