父の仕事

 2月11日に旅立った父親の告別式が昨日終わりました。実家に行くと、父が残していた記録が出てきて、それをなんとか残しておきたいと思いました。父親は橋の設計技師で災害で流されるなどで失われた橋の応急橋を設計し、実際に設計だけでなく建設の現場に足を運んでいました。

 最後の仕事が2000年7月に噴火した三宅島でした。三宅島では2000年9月から全島避難を余儀なくされました。火山ガス放出が長期間続き、避難期間は4年5ヶ月に及び、島民の方がようやく帰島が許可されたのは2005年2月1日でした。しかし、復旧作業のためにも応急橋が必要ということで、父は2001年7月に火山ガス放出が続く三宅島に向かいます。

 暑い夏の最中、防毒マスクをつけながらの作業は困難を極めたと思います。作業中はガスマスク、休む時は二酸化硫黄を除去する大きな脱硫装置によって安全を確保された宿舎に詰め込まれるというストレスの高い環境の下での作業でしたが、無事、工事は完成し、父の仕事は終わります。
 そしてこの工事の最中に孫であるりおが生まれます。父は誕生に駆けつけることができなかったことを悔やんでいたようです。僕はその時、失職しており、新しい仕事に向けて、忙殺されており、父親の最後の仕事を知らず、旅立ちの後に知ることになりました。

 葬儀はりおの音楽による音楽葬でした。亡くなる前にもりおの音楽をCDで聴いていました。三線の音に癒されて旅立ってくれたと思います。
 メキシコの「死者の日」をモチーフにした“リメンバー・ミー”というアニメの映画があります。旅立った人を思い起こすことの大事さを感じさせる映画です。無宗教であった父と同様、宗教的なものは僕は苦手なのですが、思い起こすことがなくなってしまえば、旅立った人が迷うというよりも残されたものが迷ってしまうと思えてきました。といってももう直接話すことはできませんので、返せなかった恩は次の世代の人びとに返してゆきたいと思います。

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