Twitterとネオリベラリズムは親和性が高いと思う。いや、Twitterに限らず、最近のインターネットの業界を仕切るものはネオリベラリズム的価値観を体現していると言っても言い過ぎでない気がする。
ネオリベラリズムといっても、ネオコンの潮流や日本の小泉に代表される流れは盛りをすぎた感があるかもしれない。極端な軍事行動に代表される露骨な米国一国主義的ネオリベラリズムは破綻したといえるだろう。しかし、そうした狭義の政治潮流とはレベルを異にしたところで、ネオリベラリズムは今なお力を失っていないように思える。あるいはここでネオリベラリズムという言葉を使うことは混乱を生むだけかもしれない。それならばグローバル資本主義と置き換えるべきか。
情報産業の再編を見てみよう。世界をフラットに、それまでの多様性を破壊して、1つの文化へと収束させようとしている。インターネットの利用が拡大すれば拡大するほど、さまざまなライセンス料が米系企業に吸い上げられる。極少数の米系多国籍企業が巨大化して支配的存在となっていく。「自由競争」と言うが決して技術的な優劣では必ずしもなく、市場の支配力にものを言わせる。米国政府の力だけは世界中の国の規制・抵抗を無化させるために最大限に使う。決してグローバル資本主義は小さな政府を主張しているのではなく、自分の活動に抵抗する組織の抵抗力を奪うためには国家の力を必要としている。
Microsoftはさまざまな国のソフトウエア会社をつぶしながら巨大化した。インテル、Googleしかり。米国以外の国の規制を最小限にさせて、「自由」競争させて、競争相手をなぎ倒していく。しかし、もちろん米国政府の軍事力にものを言わせてなぎ倒したのではない。米国流の知的所有権の押しつけに始まり、ソフトウエアの物量での圧倒、そうした力で競争相手はなぎ倒されていった。インターネットはグローバル資本主義のインフラとして機能した。
その後に登場したのがSNSだろう。TwitterやFacebookは世界中のSNSをつぶしながら大きくなってきた。これからもつぶしつづけるだろう。彼らによってローカルなSNSがなくなった後、SNSとはこの米系SNSのことを意味するようになる。SNSは今後さらに社会の重要な機能を担っていくだろう。それが米系企業によって独占されている状況を想像してみればいい。情報植民地と言ってもいい。
それではグローバル資本主義と闘うためにTwitterをボイコットすべきだろうか?
ボイコットはグローバル資本主義にはなんの痛手にもならない。制覇後の世界はボイコットしたものたちだけが社会から孤立する以外の結果を生まない。
これが今、われわれが置かれた世界なのだろう。
Twitterさらにはインターネットを使わないで、グローバル資本主義に抵抗することは難しい。利用することで、グローバル資本主義に組み込まれることを意識しながら抵抗できる道を考えるしかないのではないだろうか?
しかし、意識しているつもりで、彼らのシステムで踊らされる可能性は十分高い。SNSの利用という行為そのものがマーケティング情報収集への協力となり、利用者の主観的意志とは無関係に、グローバル資本主義の延命のために貴重なデータを提供していることにつながってしまうだろう。
どのようにグローバル資本主義の歯車の一つとなることなく、もっとましな世界のあり方を作り出すことが可能だろうか?
パラレルワールド?
パラレルワールドとか書いても、Twitter互換の平行システムを社会運動の力で作りだそうというわけではない。TwitterやFacebookは世界大の情報インフラとなりつつあるわけで、その規模で互換システムなんて金のないものに作れるわけがない。
しかし、Twitter上でネットワークを作っているだけではそのネットワークはTwitterに依存する。いくら自分のつながりたい相手のIDをすべてバックアップしたところで、そのIDはTwiter上でしか意味を持たない。Twitterを離れれば無意味な記号になってしまう。
Twitterを使う以上はその問題が常につきまとう。
実際のリアルワールドへの関わりもTwitter上では保証されない。
Twitterはその点、社会運動にとっては二重に仮想的な存在だ。逆に仮想だからこそ、気楽に関わりが持てる。しかし仮想で終わっていれば現実は変わらない。
具体的な現実社会を変える動きを作る上で、Twitterと現実社会を架橋させるなんらかの仕組みが必要となってくる。
単一の仕組みではなく、無数の仕組みが必要になるのかもしれない。どんな仕組みが必要か、具体的に考えてみたい。
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