情報コミュニケーション技術のあり方にもの申す

PARC自由学校で「アクティビストのためのソーシャルメディア講座」の講師を引き受けることにした。

この間、社会問題を追うことと、社会運動の中で技術を使うこと(あるいは技術を使ってメディアを作ること)の二つを追ってきた。二兎を追う者は一兎をも得ずと言われそうだが、負け惜しみを言っておけばどちらもそこそこ成果を上げている。と言っても、どちらも社会的認知を受けるにはほど遠いから成果と言うにはあまりに乏しいものに過ぎない。僕は技術系の人間ではないのだが、だからこそ、現在の日本社会の中での技術のあり方については相当問題が見えるところもある。自分の非力ゆえに社会的認知が得られないのだが、現在の日本、企業社会も市民社会もともに持つ大きな問題もそこには横たわっている。

情報コミュニケーション技術が変えるもの

2003年にイラク戦争があった。世界でその反対運動が巻き起こった。世界では数十万人単位の活動が起きているのに、日本では当初数千人しか集まらない。その原因の最大のものは日本のマスコミの姿勢があり、ここが変わらない限り、どうにもならないところがあるのだが、一方、対抗する市民のメディアもなかなか育たない。

イラク戦争開始から1年たち、当時、僕は某国際環境団体でニューメディア・キャンペーナーという肩書きで働いていたが、世界共通行動デーとして設定された2004年3月20日の直前、20日のデモに日比谷公園から出発するデモに参加するから案内をWebで流してほしいと頼まれた。

しかし、これはつまらない。そんな直前の告知では参加できる人は東京近辺の人だけ。せいぜいよくて数十人の参加しか得られないだろう。また、デモに出るというのは日本では経験のない人にとっては結構、敷居の高い行為で、主体的な決意を必要とするものだ。でもその主体的な決意を持ってデモに来ても、集会での発言をただ聞くだけ、シュプレヒコールを復唱するだけ、指示の通りに歩くだけ、と受動的な行動が多くなってしまう。その落差は決して小さくなく、せっかく参加した人が次の機会に参加する意欲が育っていかないことにつながってしまいかねない。

そこで逆に提案した。集会で自分の写真を自分のメッセージといっしょに取って集めよう。その場でケータイで撮影して、メールで送ってもらって即座にサイトで集められるようにしよう、と。自らの意志をどんどん表していけるようにしたらおもしろいのではないか、と。

提案は受け入れられ、徹夜で携帯電話からの写真付きメールをWebサイトに自動的に載せる仕組みを作った。今どきならばTwitterでハッシュタグで共有しよう、というだけで、情報を共有できてしまうが、当時はそうも行かない。でもこの提案によって、日比谷公園のデモの告知文を一方的に流すだけの話しが大きく変化した。

参加者は日比谷公園に限らなくていいわけだ。この3月20日のデモは北海道から沖縄まで全国で行われるし、さらに言うなら世界各地も。ということで話しは一気に広がり、全世界から受け付けようという話しになった。もっとも当時、デモの現場からすぐ写真を送れる携帯なんて世界ではそんなになかった。海外から来る写真は結構遅れてくる。写真をチェックせずに自動で載せてしまうと変な写真を送られたらまずいので、チェックしなければならない。せっかく送ったのに載ってないとがっかりされると申し訳ないので、日本のアクションを皮切りに地球の裏からも世界の写真が送られてくるまで1日以上の時差をずっと眠らずにチェック作業をする羽目になり、仕組みを当日までに間に合わせるための徹夜とあわせて2日以上眠らずに写真のチェックを続けた。

日本のイラク戦争の反対運動は海外からなかなか見えない。でもこの携帯を使ったイラク戦争反対の意思表示は海外からの反響が大きかった。「日本はすごい」そんな声が海外からも聞こえてきた。どんなもんだい。直後のその国際環境団体の世界の事務局長を集めた会議でも話題になり、わが日本の事務局長は自慢げだった(残念なことにそのサイトはその後クラッシュしてしまい現在は残っていないが)。

こうしたオンラインのキャンペーンはその後も成功を重ね、わずか3000名しかなかったメールマガジンの講読者は数年のうちに5万を超し、会員となって支えてくれる人も7割以上がオンラインキャンペーンの参加を通じて、入会してくれてきていた。情報コミュニケーション技術(Information and Communications Technology、ICT)は運動の形を変え、スタッフと外部の会員、ボランティアとの関係を変え、団体の経済的基盤を支える柱となっていった。

情報コミュニケーション技術は人と人との関係を作り出す技術

もう賞味期限切れの自慢話をしようというのではない。要はインターネットなどを支える情報コミュニケーション技術は人と人との関係を変え、作り出す技術ということであり、それをどう生かせているか、ということなのだ。

実はその後、その団体は組織変更を試みる。KPMGという世界的なコンサルタント会社を入れて、組織のあり方を変えて、成長させようとした。KPMGから派遣されてきたコンサルタントはとても若い人で、これならICTの本質を理解していて、組織をいい方向に変えてくれるだろうと当初、期待した。さらにICTを強化して、東京に偏重している活動をもっと地域の活動とリンクさせていくことも可能になるだろう。でもそうするためにはその当時の体制では限界があったので、ICTを積極的に位置づけ、強化する方向で提案が出てくることを期待した。

しかし、出てきたプランには唖然とした。ICT部署の使命は情報入力、整理なのだそうだ。外部に打ち出ていく部署ではなく、団体の奥でさまざまな部署が集めてくる情報を入力していればいい、データベースを維持管理すればいいという辛気くさい部署にするという。ICTによって、外部と事務所内部の壁を取り払って、活動をダイナミックに発展させるという発想はそこにはゼロ。システム管理者は団体の奥にいて、外との関係もなく、ひたすらサーバー管理していればいい、そんなイメージだろう。活動の柱でもあり、経済的にも重要な役割を果たしているICTをひっこめてしまえば大打撃になるだろう。

先進的であるだろうKPGMですらこんなコンサルになってしまうのが日本の現実かもしれない。日本の多くの組織でICTは人と人の関係を変えるものではなく、古い組織を下支えする保守管理部門でしかないのだ。そうした部署で働く技術者は上から押しつけられる要求に従って、それを満たすものを作るだけ。新しい提案をしてはだめなのだ。言われたとおりにさくさくと作ってそれでお終い。だからそれが現実を切り開く武器になることはありえない。

悲しいながらも言われた通りにしか働かない技術者、そこからは変革は生まれない。そして、その技術が持っている力を知らない上司もまた組織を変えていくことも現状を変えていくこともできない。それは現在の日本企業の姿でもあるかもしれない。Googleが情報技術で世界を変えていくのに、日本企業では情報技術は会社の奥に引っ込んでいる。これでは日本企業がダメになっていくのは避けられない。

企業ばかりだけではない。日本の市民運動の中でも情報技術を重視しようという姿勢は極めて希薄だ。多くの市民団体の中で、情報発信の部分はボランティア任せだったりする。お金がないから仕方がないかもしれない。しかし、お金がなくても、その重要性がわかっていれば取り組みの方法はありうる。お金を使わなくても活動の中心にすえ、自分たちの活動を発展させることは可能だ。

しかし、残念ながら、そういう発想を持った市民団体の運営者は極めて少ない。外部の人たちとの関係を変え、その組織のあり方を大きく変えるメディアを作りだそうとしている運営者はごくわずかというのが現実ではないだろうか?

このKPMGの提案は成長しかけた組織をあまりに古い組織に戻すものであり、当時のマネージャーたちはまったく納得せず、採用されなかった。もし採用されていればその時点で、僕はその組織から去っていただろう。

しかし、さらに苦難は続く。このKPMGのコンサルに懲りずにまたすぐにコンサルを入れるという。今度はSONYで活躍した経験を持ち、某人権団体のコンサルも手がけている人だという。この某人権団体の事務局長は旧友だったので、その旧友がいいというなら大丈夫だろうと信じたが、それが大きな過ちだった。

結局、KPMGとほぼ変わらないプランが作られた。前のマネージャーたちが残っていたらそんなプランはけっとばしたと思うが、マネージャーたちはすべて入れ替わっていて、新しいマネージャーたちはその問題を理解しなかった。

結果はドラスティックに現れた。それまでオンラインキャンペーンを通じて多くの支持者を増やしていたのに、そのプラン実施と共に一桁近く落ちた。柱となっていたものをなくしてしまったのだから当然といえば当然の結果である。その結果を受けて、予定を変更することを期待したが、大金を投じたコンサルを否定する勇気は当時の事務局長にはなかった。それを見届け、その仕事を辞めることにした。

社会変革のためのICTを

TwitterやFacebookなどのSNSに多くの注目が集まり、インターネット選挙が解禁される時代となり、さすがに状況はもう変わったと思うかもしれない。だけど、まだまだ変わっていない。ICTを使って関係を変えるのではなく、使われることで満足してしまう。Twitterという枠内でどんなに情報を出していってもそれは結局、多国籍企業のサービスという掌から出ることができない。自立した市民メディアを作ることはそこからは生まれない。当然、SNSを活用することは重要だ。だけど、SNSに留まる限り、自立したメディアにはなりえない。成長戦略も描けない。

しかし、Twitterの使い方を習得して、ブログの書き方やCRMを教えてもらえば、それで終わり、というような理解しかない人ばかりだ。そういう考えをする人たちにとってブログもCRMもWordと同じような存在でしかないのだろう。Word講習会だったら、Wordが一通り使えれるようになればそれで終わりかもしれないけど、それとはわけが違うのだ。ICTは不断に現実を変え続けるエンジンのようなもの。現実を前にして、その現実をICTを使ってどう変えられるか挑まなければならない。それは不断に続くプロセスなのだ。変化し続けるプロセスであり、それは技術を持った人と技術は持たないが道具として技術を使う人たちとの共同のプロセスなのだ。その共同のプロセスを組織の上下関係で分断してしまえば成長はできない。

日本の低迷は確かに政治の低迷によるところが大きい。でも、あえて問いたい。あなたのICT理解ゆえにあなたの組織が低迷しているんではないか? あなたの理解を変える時ではないかと。

それと同時に、言われた通りにシステムを作ることしか知らない技術者も共犯だ。あなたがやるべきことは言われたままにものを作るのではなく、ICTを使えばこの現実をこう変えられると提案することなのだ。

本当にこうした状況を変えようと思っている人たちと、新しい動きを作っていくつもりだ。

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