ブラジルのある農村におけるベーシック・インカムの実験 その1

ブラジル・サンパウロの郊外の小さな村でベーシック・インカムの実験を始めてしまった人たちがいる。

ベーシック・インカムとは収入の額に関係なく、成員全員、子どもからお年寄りまで個人に対して生きていく上で必要最低額を支給しようというものだ。

ブラジルNGOによるベーシック・インカムの実験
ReCivitasによるプレゼンテーション

当然、ベーシック・インカムとは税金などと関わり、NGOが実行するというよりは国政レベルの政策論と思ったので、なんで村でNGOがベーシック・インカムなんだ、と話を聞いた時はまったくつかめなかったが、PARCで開かれた『対話集会 ブラジルのNGOの実践から学ぶ 貧困をなくすために〜農村でのNGOの役割』に参加し、目を開かされた思いだ。

彼らの実践を正確に紹介すべきところなのだが、その余裕が十分ない。通訳もどきをしていて、うろ覚えでしかないのだけど、私にとっておもしろかった、と思ったところのエッセンスだけ、数回に分けて記録に残しておきたいと思う。

この実験を始めたNGOは2007年に創られたヘシビタス(ReCivitas)というNGO。ブルーナとマルクスという若い夫婦が創ったNGOだ。彼らは農村問題での貧困問題、市民権確立の活動をこのNGOを通じて行っていた。

2004年、労働者党政権はベーシック・インカム市民権法を成立させた(Wikipediaポルトガル語)。しかし、実際にはブラジルではこの法律はまだ実行されていない。ルラが再選に臨む時、2003年から始められていた貧困家庭の支援を目的にしたボルサ・ファミーリア(家族支援計画 Wikipediaポルトガル語)をこのベーシック・インカムの第一歩とするとしているが、ボルサ・ファミーリアを今後どうやってベーシック・インカムに転換していくのか明らかにはされていない。

ベーシック・インカムは収入の多さによって差別せず、全員に支給することを基本とするものだ。もし、貧しい人・家庭だけに支給するのでは、その人が貧しくなくなった時に支給を止める必要がある。支給を受けたいがために、貧困状態を継続するということにもなりかねない。また貧困であることを証明しなければならなくなる。その検証に手間・費用がかかってしまう。プライドも傷つくかもしれない。それゆえ貧困な状況に陥っても、受け取ろうとしない可能性もある。収入の高低に関わらず支給するのならそんな問題もない。

ただし、当然、その対象は大きくなり、どう財源を確保するかという問題も出てくる。その場合、これまでの社会福祉がどうなるのかなど、実現するためには国政レベルでコンセンサスが必要となってくる。しかし、ここで難しくなる。ベーシック・インカムがどんな社会を生み出すのか多くの人にとって想像ができないからだ。想像ができないことでコンセンサスを創ることは困難。コンセンサスがなければベーシック・インカムは実現できない。となると鶏か卵かでまったく進まない。

ヘシビタスが思い切った実験に踏み出すのはこのジレンマを超えるためだ。マルクスは言う。「ベーシック・インカムはアカデミズムの中で議論されている限り前に進まない」。彼らはへシビタスでニュースレターの印刷などに使っていたお金を小さなコミュニティに使うのであれば、そのコミュニティでベーシック・インカムが実現できてしまうことに気がつく。それをさっそく実行に移してしまう。

続く

Kindle 3

Webで長い文章に出くわした時、PCのディスプレイで読み続けるのが結構苦痛だ。かといって紙に印刷して資源浪費したくない。

そんな時、文章部分だけEvernoteに保存して、KindleのWebブラウザーを使い、Evernoteのモバイル版(http://www.evernote.com/mobile/)を見るようにする手がある。

これなら十分読める。これでWebで長いデータに出くわしてもこわくない。

ただ、日本語ならまだいいのだけど、これがポルトガル語だったりすると、せっかくデジタルデータなのだからオンライン辞書が使いたくなる。ChromeだとBubble Translateというエクステンションを入れれば、ワンタッチで日本語や英語で単純な訳(詳しい訳じゃなくて1つの訳語例のみ、ショートカットを複数作れるので、日本語へのショートカット、英語へのショートカットを別に設定可能。3つ以上も可能)を出してくれて、能率よく読めるのだけど、現在のKindleだとそれは無理。

またiPhoneやAndroidのタッチパネルに慣れてしまうと、現在のKindleのインターフェースではいらいらがかなり募ってしまう。これはハードウェア的な制約だから、ファームウェアのアップデートで解決することは期待できない。

以下、画面キャプチャー。2割、画像小さくしているので、フォントが実際よりも汚く見えるかもしれない。またコントラストは実際にはこんなどぎつくはない。
Kindle経由で見た長いWebページ

A SEED JAPAN連続セミナー 「生物多様性を知る×伝える×守る 情報通信技術の活用術」その1

9月25日、A SEED JAPAN連続セミナー「生物多様性を知る×伝える×守る情報通信技術の活用術」で話をさせていただきました。

うまくブレーンストームの素材を出して、A SEED JAPANの行動計画に貢献したいところだったのだけど、ちょっと思うようにいかず、せっかくよんでいただいたA SEED JAPANの方たちには申し訳なかったのだけど、どんな話をしたのか簡単にまとめておきます。

これまでの国連関連の国際会議でNGO、市民運動の方でどうインターネットを活用してきたのかを見てみます。

1992年リオデジャネイロ国連環境開発会議(UNCED)

ちょうど、私はアジア太平洋資料センター(PARC)とブラジル社会経済分析研究所(IBASE)の交換プロジェクトでリオデジャネイロで活動していて、日本からの投資がブラジルの社会・環境にどのような影響を与えているのかを調査していました。

80年代からアジア太平洋地域で紙パルプなどの原料にするために大規模なユーカリ植林が大きな社会問題となりつつありました。しかし、このユーカリ植林は70年代、日本のODAがつぎ込まれてブラジルで大規模に行われています。それが現在、南の国々に広げられていることがわかり、UNCEDの会議の機会を活用して、ユーカリ植林問題に取り組む国際ネットワークを作ろうと考えました。

何も組織的バックアップもなく、そのようなことを提案するというのは今考えると、突拍子もない若気の至りという感じでしたが、NGO会場が設けられたグローバルフォーラムでよびかけのチラシをまき始めました。しかし、この会場を訪れる人の数、3万人といわれ、一人でチラシをまいたところでたかがしれています。

そこでIBASEの事務所に戻り、APC(Association for Progressive Communications、進歩的コミュニケーション協会)の電子会議室に提案を書き込みました。このAPCというのはブラジルをはじめ、アルゼンチン、英国、米国、オーストラリア、南アフリカなど各地を相互につなぐいわばNGO、市民運動のためのパソコン通信ネットワークといえるもので、インターネットの機能を先駆的に世界各地の市民運動に提供したものです。1992年の段階ではインターネットはまだ市民には遠い存在でした。

電子会議室に書き込んだこの提案には即反響が来ました。カリフォルニアの大学教授からは、ユーカリを植えると他の植生が育たなくなってしまう、カリフォルニア州ではユーカリ伐採とその土壌汚染に取り組んでいる、ということで、その取り組みを知らせてきてくれました。

そして、UNCEDの最終日、ホテル・グローリアのロビーに、ブラジル、ウルグアイ、インドネシア、タイ、フィリピンなどのNGOやThird World NetworkやGreenpeaceなどの国際組織も入って、単一性植林問題国際ネットワークが立ち上がってしまったのでした。

情報コミュニケーション技術(ICT)が市民運動にとって武器になる、ということはこの時に痛感しました。この時のネットワークは市民社会に広く訴えるような(広報的)機能はありませんでしたが、世界各地のNGOを相互につないで情報交換できる仕組みがあるということは特に日本から参加した人たちには大きなショックだったろうと思います。この時期、日本にはNiftyServeやPC-VANなどのパソコン通信サービスはありましたが、まだお互いのユーザー同士でメールを交換することすらできず、閉じられたシステムだったからです。

海外のNGOの中にはすでにAPCの会議室を通じて、リオの会議に参加する前に情報交換を済ませて、リオの会議ではいきなり議論を始めるところが少なからずありました。しかし、日本の多くの参加者にとってはいきなりでしたから、言語のハンディキャップ以上に情報のハンディキャップを負っての参加になってしまいました。

実はAPCの本部は私が働いていたIBASEにあり、私はIBASEのスタッフといっしょに働きながら、日本にAPCのシステムを作ることの必要性を感じ、帰国後、さまざまな人との協力のもとに、それはJCA-NET(http://www.jca.apc.org/)という形で実現することになりました。

1997年気候変動枠組み条約COP3京都会議

JCA-NETが設立されてすぐに開かれた京都会議、GEIC(現GEOC)の支援を得て、NGO情報発信支援プロジェクトに取り組みました。これは国連会議が行われた会議場に100台を超すPCのLANを組み、会議に参加するNGOが声明など簡単にインターネットを通じて情報発信できるようにする仕組みでした。

事前の準備もままならず、という感じでしたが、最終的に国内外の46団体のメッセージを発信することができ、海外のAPCからもこのプロジェクトのおかげで京都会議をモニターできたよ、と評価されました。

しかし、この仕組みも一方的な告知のみで、会議場の外の人たちはそれをモニターするしかできなかったものでした。

1995年頃から日本でもインターネットが本格的に普及し始めていました。当時はメーリングリストも普及していましたが、メーリングリストも参加者のみが情報を見られるという点で同じように閉じられたメディアであったと言えるでしょう。

インターネットの地殻変動

2000年を過ぎることからインターネットに大きな変動がおきます。ブログが生まれ、さらにSNSが生まれてきました。これは限られた人だけが情報発信を担っていた制限を解き払い、市民が参加する可能性を大きく広げてくれたと言えます。

市民運動としてはこの地殻変動は大いに活用していくべきでしょう。次はどのように活用していくかを考えます。

(続く)

Galaxy S

Galaxy Sを購入した。なんか買い物が続くが、ここ5年間ほとんど何も買わずにいて、たぶん、これでしばらく数年何も買わない生活に戻るのだろう。

携帯電話についてはあれこれ迷った。

1. ケータイなしで過ごす
2. ガラパゴスケータイにする
3. スマートフォンを買う

子どものペースメーカーへの影響の問題もあり、電磁波が気になるので、なしで過ごせたらそれはそれでいいのだが、しばらくケータイなしで過ごし、結局、周囲の人に迷惑をかけるは、街には公衆電話はないはで、やはり1は継続不能と判断。

一方、スマートフォンを買うにもDoCoMoなどでの料金を考えると、高すぎる。また、スマートフォンが増えているとはいえ、まだ大多数はガラケー(従来の日本のケータイ)であり、所得の低い人の場合はスマートフォンは厳しい。そうした人たちに使えるサービスを開発することを考えればガラケー向けが欠かせないだろう。となれば、2がいいのではと考えた。

その一方で、今使っているiPod Touch(第2世代)だけでは無線LAN環境のない状態でお手上げ状態になることも。となるとガラケー+日本通信b-mobileSIM+ポータブルWiFiルーター+スマートフォン(実質的に無線LAN端末)という手もある。これなら月額費用的にも押さえられる。

しかし、いくら個々の機器が小さいといっても、3つの機器を持ち歩くのはあまりに厳しいし、資源の無駄に思える。こうした機器は現状では希少資源も使うだけに購入は最小限に、買ったら壊れるまで使いたい。さらにガラケーの機種は多すぎて、しかもその多様さに意味ある相違を見いだせず、機種選択する気がそがれてしまった。

ということで結局、b-mobileのtalkingSIMにSIMフリーのGalaxy Sにした。ガラパゴスケータイを切ってしまったのは正直、後悔するところがなくもなかったけれども、ガラケー対策はシミュレーターで対応するしかない。

スマートフォンの候補としてはiPhone、Android(Windows Phoneは検討外)、でも、古いとはいえiPod touchを持っている上にiPhoneではApple寄りすぎでここは没。それではAndroidということでGalaxy Sをオンラインショップで購入した。世界を圧倒している韓国Sumsungや台湾HTCのすごさを感じるとともに、日本企業の出遅れには驚くばかり。

触ってみた最初の感覚としては、相当手応えのある端末だ、ということ。SSHのアプリケーションを入れればすぐにサーバーにアクセスできてしまう。外付けキーボードが付けば、これだけでかなり作業ができる。ちょっとした旅行であればPCは持たずに十分だろう。しかも軽い。

しかし、小さなPCという以上にPCを超えたところがあるのに驚いた。

まず、ディスプレーがすばらしい。PCのモニターが古色蒼然としてくる。あまりに鮮やかでPCではそんなに見栄えのしないYouTubeビデオも見違えてしまう。

WebもPC版と異なって、HTML5がばりばり使えるし、PC版よりもむしろ手のこんだものが作れるだろう。しかも、モバイルな環境で使えるので、PCのサブセット版ではなく、PCでは不可能な、ケータイならではのメディアとして構築することが考えていけるだろう。

そんな可能性を感じさせてくれるケータイだと思う。

さらに簡単にテザリングが可能(ただし暗号方式は簡易なWPA)なので、KindleやiPod touchなどの無線LAN環境をどこでも作ることができる(であればKindleを3G付きで買う必要はなかったことになる)。

いくつか個別のアプリケーションの評価。

Google Voiceサーチ…日本語のロケールを選択すると、日本語を対象としたVoiceサーチが可能になる。試してみたが、かなり正確に拾うので驚いてしまう。ケータイの場合は入力がきついと思っていたが、今後、さまざまな入力でこの仕組みが使えれば入力の困難さはなくなる。

ただし、Galaxy Sのロケール(言語)設定を日本語のままでは外国語を吹き込んでも日本語としてしか判断してくれないようだ。Merdaと入れたら値札と言われた。確かに音は近いけれども…。ロケールを変えれば対応してくれる可能性高いが、いちいち変えないとサーチできないというのでは使いにくい。

Googleマップ…精度は10メートル以上ずれる時があるが、ケータイの向きはしっかりと把握している。常時GPSをオンにしていればプライバシー問題は出てくるが迷子になった時は便利だろう。

Googleナビ…これは自転車のナビゲーションに使えるかな、と一瞬思ったが、ちょっと難しい。まず動きにうまく追随してこない(これは改良が期待できるだろうが)。また、自動車前提のナビゲーションなので、自動車の一方通行の多くから自転車は除外されているのにそれが使えず遠回りになるし、自動車の少ない安全な道は選択されないことが多くなるだろう。歩行者のナビにも当然適さない。今時の車でカーナビのない車も少ないので、車専用のナビがどれだけ意味あるか、このへんはGoogle側に工夫が必要だと思う。というかGoogleマップに歩行者を指定した経路検索ができるので、それをナビにするのはそう難しいことではないようにも思える。

プッシュメール…iモードのような配信されるとすぐに通知がくるプッシュメール、K-9 Mail+GMailで実現できそうだけど、K-9 Mailが起動されていなければプッシュされないのが難か?

ブラウザー…プリインストールされたブラウザーは評判がよくないようで、定番そうなDolphin Browserという無料のアプリケーションを入れてみたが、Mobile Safariに比べ、基本的な動作でかなり劣る感じは否めない。Android向け最適化をめぐってviewportが効かない、という苦情を聞いていたけど、部分的に拡大したい時も、Mobile Safariはほぼ的確な大きさに拡大、縮小してくれるのに、それができないために通常のPC向けサイトをスムーズに読むことにはやや難がある。Mobile Safariよりも多機能ではあるようだが。
WordPress用のプラグイン WPtouch はAndroidにもほぼMobile Safariと同等の見栄えを提供してくれるが、最適化されていないPCサイトは読むのに骨が折れる。今後に期待したいが、かなり差があると感じた。逆にいえば、Android用にWebサイトを最適化することにはそれだけメリットがあるということが言えるかもしれない。

Skype…通話ができるまともなアプリケーションがない? Nimbuzzというアプリケーションを試したが、音は聞こえるものの、こちらの声がまともな音質にならない。せっかくのマルチタスクが…。

Twitterアプリケーション…どのようなアプリケーションがあるのか、まだまだ不案内だが、使えこめそうなTwitterアプリケーションは残念ながら見つかっていない。その点でもiPhone/iPod touchはまだまだAndroidに対してアドバンテージがあると言えるだろう。でも、今後どうなっていくか。

テザリングの速度…そもそも自分の生活空間で3Gになるところがほとんどない。またb-mobileはパケット定額はありがたいがそもそも速度は期待できない。SoftBankではつながりにくい地域に住んでいるのだけど、それでもつながるだけありがたい。連れ合いの実家で過ごす時もこれでインターネットにつながるということでかなり助かる。

電源はやはり1日に一度は充電が必要となるレベルだろう。となると外でハードに使う場合、AC電源やUSBから充電できるが、補助バッテリーや補助電源が必要になってしまうだろう。

通話…本来電話ならば一番重要なのだろうが、電話は大嫌いなので、最小限しか使いたくない(電話をするのもされるのも好きではない)。特にクリアであるとは思えなかったが、特に大きな支障はなさそう。

ということで、これでなんとか新しい生活がスタートできそうだ。

Kindle 2

PDFリーダーとして読もうとした時に現状のKindleは以下の欠点を持つと思う。

1. フォント組み込んだPDF以外の日本語のPDFは文字が何も表示されない。
2. 表示サイズが新書本サイズなので、大きな版のPDFを表示するには小さすぎる。

1の点はそのPDFが改変可能になっていれば、フォント組み込みに書き換えてやればいい。でもそれが禁止されたPDFファイルであれば、現状ではまったく読めないだろう。これは今後のファームウェアのアップデートで解決することを期待できるかどうか?

2の点はたとえばKindleを横位置にしてやることで多少大きな版のPDFファイルもそこそこ読める字の大きさにできなくはないが、その場合、1ページを3スクロールすることになるなど、なにせ表示される部分が小さいため、見通しが悪くなる。

これはものによってはひじょうにやりにくくなる。余白の大きなレイアウトなどされていると、120%くらいフォントを拡大したいところだけれども、現状のKindleには150%からとなっており、そうした微調整ができない。これは将来的には解決が期待できなくはないが。

やはり、よくあるA4版のPDFファイルを読むことを考えるとKindleサイズよりも、iPadサイズの方が適している。ただし、バックライトのあるiPadで長文のPDFを読むのはかなり目には負担になるとは思うが、机に向かって読まなくていい点はプラスではあるだろう。あるいはKindle Deluxeか。

かといって、そういくつも同じような端末持つわけにはいかないだろうが。

日本語処理の件などもあり、Kindleは即買いではなく、ちょっと待った方が賢いかもしれない。

こちらとしてはPDFファイルはどんなことをしても読むし、電子書籍の可能性を考えたいので、早めに買ったことは後悔はしていないが、展望としては結構大変だと思い始めている。

国家が人種主義になるとき─フランス政府によるロマの強制送還

フランスの移民・難民問題にお詳しく、現実にコミットされる研究者、稲葉奈々子氏が『寄せ場学会通信76号』のために書かれた文章、多くの方に読んでいただきたいものなので、氏の許可をいただいて、掲載させていただく。通信はともかく、『寄せ場学会年報』は購入もできるようだ。『寄せ場:日本寄せ場学会年報』


正規移民を強制退去させる方法

8月中旬、パリ郊外のサンドニ県ラ・クールヌーヴ市を訪れた。高度成長期に栄えた工業地帯で、中間層に近代的住居を供給する目的で多くの公的な集合住宅が建設された。そのひとつ「キャトル・ミル(四千)」と呼ばれる数千戸を有する集合住宅は、現在では貧困層が集中し、失業率が高く、2005年の都市暴動の舞台にもなった、フランスでもっとも「悪名高い」団地である。私がラ・クールヌーヴを訪れたのは、都市開発のために全戸取り壊し予定の「キャトル・ミル」の空き家占拠の聞き取り調査のためであった。パリ市内から地下鉄で13番線の終点のサン・ドニ聖堂駅で降りて、路面電車の線路沿いに徒歩で20分ほどの場所である。

ラ・クールヌーヴ市には大きな廃工場があちこちに残る。社会主義時代の東欧を彷彿させる風景である。国道沿いにトタンでしきられた廃工場の敷地から煙りがあがっており、内部にバラックが立ち並んで多くの人が出入りしている。サルコジ大統領が7月30日の演説で、3ヶ月以内に半数の撤去を宣言した、全国539カ所にあるというロマのキャンプのひとつであろう。サルコジいわく「無法地帯」である。

ラ・クールヌーヴ市と、隣接するオーベルビリエ市は、南仏のマルセイユ市、ドイツ国境のメッス市とならんで、伝統的にロマが多く居住する自治体である。政府はその数を全国で約15000人としている。そのほどんどはフランス国籍のロマである。移動生活をすることは、フランスでは法律で禁じられておらず、むしろ人口5000人以上の自治体に対してロマがキャンプする土地の用意を義務づけている。それでは、ルーマニアとブルガリアの出身者だったら何が問題になるのだろうか。7月末以来1ヶ月間で、キャンプの撤去とともに約1000人がブルガリアとルーマニアに強制退去させれた。うち約8割は帰国援助金(大人1人300ユーロ、子ども100ユーロ)を受け取っての「自主的」帰国であった。ロマを支援する弁護士によれば、強制退去にされたロマの半数は正規滞在だったという(Le Monde 2010年8月31日)。

自由移動の隘路

ルーマニアとブルガリアはEUに加入してすでに3年がたち、EU域内の自由移動は制限されていない。2013年末まで就労は制限されているが、介護、建設、飲食業などの人手不足の深刻な部門の150の職種については就労が認められている。つまりルーマニア人とブルガリア人だけを名指して強制退去の対象とする法的根拠はどこにもない。

EUはすべての加盟国出身者に自由移動を保障すると同時に、「公的秩序、治安、公衆衛生を脅かす」場合には退去強制の対象になるとを定めている。またフランスの入管法では、3ヶ月を越えてフランスに滞在する場合、就労していない者のうち「社会保障に非合理的な負担をかける」者は、強制退去の対象となる。フランス政府はこの規則を根拠にして、ルーマニアとブルガリアのロマの強制退去を正当化している。これは個々に書類を審査して適正な在留かどうかが判断されなくてはならないもので、ルーマニアとブルガリアのロマを集団として強制退去の対象とする根拠にはならない。事実、サルコジ政権によるロマの強制退去はEUの自由移動の原則に反するとして欧州委員会はフランスに説明を求めている。
しかも公的秩序を脅かすとする根拠は、ロマによる公あるいは私有地の占拠だが、これについては北フランスのリールの裁判所が公的秩序を脅かす行為には当たらないと判断している。

克服できなかった歴史となるのか

ロマが「物乞いで、万引きなどの常習犯である」というのは、言うまでもなくフランス人がつくりあげたイメージにすぎない。19世紀以降フランスに居住するようになったロマのほとんどは通常の住宅に定住している。現在フランスに在留するルーマニア人とブルガリア人は約36000人で、そのすべてがロマでもなければ、バラック生活をしているわけでもない。文化人類学者オリベラはバラック生活を送るルーマニア人とブルガリア人を約3000人と推定している(Le Monde 2010年8月10日)。

ロマが差別され迫害されてきた歴史が示すように、一般の人々がロマ=犯罪者というイメージを持つのは今にはじまったことではない。人種主義は、ある特定のエスニック集団に属する人は、生まれつき犯罪者なのだと人々に信じさせる。この人種主義を国家が政策として採用するならば、ある特定のエスニック集団に属すことが犯罪とみなされ、迫害の対象となる。サルコジ政権によるロマの強制退去は、国家がロマを犯罪者として名指すことであり、戦後ヨーロッパが克服しようとしてきた人種主義の歴史を無に帰すことである。9月4日には、人種主義的な移民政策に反対するデモにフランス全国で10万人が参加した。ナチス占領下のフランスでユダヤ人が収容所送りになるのを見て見ぬふりをした結果がもたらした事実を、市民は忘れていない。政府の人種主義にほおかぶりをしてすますことができないのは、日本も同様である。

Kindle

Kindleを買った。本を買わない/買えない人間がなんで買うのかと聞かれるかもしれない。本は図書館で借りられるものだけ読み、借りられないものはあきらめる、あるいは例外的に購入するという生活をしていて、それは当面変わらないと思う(ただKindleによって置く場所がないから買わない、という買わない理由は少しは減ったかもしれない)。

Kindleは電子書籍を買うための端末としてではなく、電子書籍を作るためのデバッグ(見え方をチェック)する端末として、そして、大量にあるPDFのマニュアル類を読むリーダーとして買うことに決めた。

これまでの日本の出版流通の仕組みが市民社会のニーズから大きくはずれていたこと、電子書籍でその制限を突破する可能性はなくはないと考えており、その試みはぜひしたいものだと大いに思っている。これはいつかもっと書きたいと思っている。

実際にKindleを手にしてみた最初の感想。やや表層なレベル。
1,インターフェースは想像以上にわかりにくく、操作もスムーズではない。改良の余地は大いにある感じだ。
2,肝心の画面の見え方だが、思った以上にコントラストは低い。以前よりも大幅に改良ということで期待していたけど、やや残念。
3,字体が細かい字でやや読みにくい。
4,PCやiPod touchのバックライトの液晶に比べると目が疲れずにじっくり長い時間読むことが可能。

全体的な暫定評価をしておくと、これはかなりの画期的な製品だと思う。

特に
1,電源消費がきわめて小さい。表示には電気を使わず、書き換えの時だけ使うという仕様はエネルギーを浪費したくないものが落ち着いて読書するのにとても適している。
2,膨大なPDFマニュアル類、印刷しても紙の無駄になってしまうが、Kindleの出現で、検索して必要な部分だけ画面で読むことができ、これでマニュアル類の印刷は不要になりそう。完全なペーパーレスは無理としてもかなり紙の消費を減らせる。

個人的にはこの2つの点は気に入っている。

しかし、このKindleもまた米国企業の利益の源泉となるものであって、その船に乗らなければならないということに躊躇を感じないということはない。まぁAmazonから電子書籍をばんばん買うことはないのだから儲けさせないとは思うが。

Amazonから買ったものではないものをPCから簡単にコピーしてじっくり読むことができる。当面はそんなPDFリーダーとして使うことになりそうだ。

市民とメディアが作るメディアのCSR Twitterをはじめよう!

9月4日、武蔵野・三鷹メディフェス2010にA SEED JapanメディアCSRの方々に呼んでいただき、Twitterの講座をやらせていただきました。

メディアCSRプロジェクトとは「マスメディアが報道における公共性・独立性を発揮し、市民が主体的にメディアを選択する社会を創造するプロジェクト」とのことで、テレビ局の姿勢に市民の側から積極的に注文を付けていこうとさまざまな働きかけを行っています。

情報産業が寡占状態になっているいびつな日本でこのような試みはなかなか意義深いと思います。

そのプロジェクトとTwitterをどう使うか、という2つの軸をどううまくかみ合わせるかということですが、直前に食あたりという不運で準備不足となってしまい、十分かみ合えなかったかもしれませんが、A SEED Japanや年齢層の幅のある参加された方たちにはいろいろ学ばせていただく機会となりました。

とりあえずはプレゼンファイルです。

放送局に勤めておられた方から三宅島問題の掲示板がすぐれていること、アーカイブとして優れている、管理者の管理方針がよく参加者に知られている、などの提起を受けました。掲示板の管理はなかなか大変でテーマを選ぶ気がしますが、確かにアーカイブが利用できることなどはメリットだろうと思います。TwitterもTogetterなどアーカイブ化するような使い方できなくはないですが、過ぎ去ったデータをいかに生かすか、という点は難しいところもあると思います。

Twitterをきっかけにさらに別な仕組みでネットワークを深化させていくような方法は今後、もっと試したいところです。

社会を変えるためには情報をまず民主化しよう、ということで、Twitterはかなり使える。特に世界大でさまざまな動きを作るのに適していると思いますが、同時にTwitterだけに依存できないジレンマがあります。どうTwitterをさまざまな局面で活用してTwitterに留まらないネットワークに発展させていけるのか、まだこれ、という実例は見つからないのだけれども、試して行ければと思っています。