食料・農業・農村基本法見直しについて

 食料・農業・農村基本法改正に向けた農水省との意見交換会が3月29日に開かれた。農業消滅や食料危機が現実性を帯びている今、日本での食のあり方を大きく変えることは不可欠のことだろう。では、農水省の見直しの内容はどう評価できるだろうか?
 
 残念ながら、根本的に見直しの内容を見直さなければ現在の危機的な流れを変えることはできないと言わざるを得ない。
 何が問題かというと、結局、市場まかせの無為無策であり、その前に米国の食料戦略にまるごと乗ってしまっていることを問うこともできない、だから足に地をつけて、農と食を発展させる論理が組み立てられないことだ。
 これに対して、今、世界ではアグロエコロジーをバックボーンにさまざまな学際的な知見、農家の伝統的な知見や経験、社会的な連携による重層的でしかも環境的危機にも強い食・農の政策が提案されている。この格差に目まいを感じざるをえない。
 
 中でも鍵になるのがタネのことだ。農水省は75ページにわたる資料を提出したが、その資料の中にタネのことは何も言及されていない。いや、正しくはタネの知的財産権のみが言及されていて、タネを守る政策については無策ということだ。しかし、知的財産権では食は作れない。それは企業は太らせるかもしれないが、食はそれでは生まれない。タネがなければ農業できない。
 ほぼ唯一、タネに主題的に言及したページは皮肉なことに、日本だけ新品種が作れなくなっており、「国内の品種開発におけるイノベーション力の減少により、将来的に活用可能な国産品種の選択肢が狭くなり、海外品種への依存を強めることになる」とあるだけだ。
 でもそれは地方自治体の公的種苗事業の民営化を続けてきた結果ではなかったのか? そして「イノベーション力」という言葉はクセモノであり、これを強めるとして、種苗法を改正してしまった。しかしこれは逆効果をもたらす。知的財産権を強化すること、特に特許権を強めることで、むしろイノベーションは停滞する。特許を取られてしまうと自由な開発は不可能になる。だからこそ、米国の種苗産業も競争力を失ってきている。だからこそ、その方向から離脱しなければならなかったのに、真逆に知財権強化に向かってしまった。日本は自分で自分の首を絞めている。しかも、その向かう道は「ゲノム編集」などのバイオテクノロジーとなれば、それを誰が歓迎するだろうか?
 
 食とはコモン(みんなのもの)であり、それを育てる営みを支える原理もコモンである。独占を可能にする工業的な概念を無理矢理導入した結果、生まれる必然のない食料危機が作り出される。社会を覆い尽くす資本の論理はもうこの世界を破綻まで追いやっている。
 この破綻からどう逃れるか、この論理にはまりきらない分野から変革は始まっている。資本は独占を生む。一方、タネを守る最良の方法は共有することだ。共有することで失っても回復できる。資本主義的世界からの脱却が可能であるとしたら、こうした営みが拡大することであり、実際にそうした活動は世界で急速に拡がりつつある。
 
 実際にブラジルでもイタリアでも韓国でも在来種のタネの生産を政策的にも支援する形ができている。そしてそこでは農業が甦りつつある。きわめて実効ある政策なのだ。速効性もあり、未来も作る。この支援政策なしには広げることは困難だ。
 
 現在の農水省の食料・農業・農村基本法の見直しにはその可能性がほとんど見出せないし、このままでは将来の日本の食、そして社会は破綻せざるをえないように思えてならない。大きな変更を求めていく必要がある。

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