電子書籍を作ってみた

といっても、電子書籍のフォーマットの1つ、ePubを使って、データを流し込んでみただけ。

どんなことができるのか、どんな可能性があるのか、何がやりにくいのかを知りたかった。

結論として、ePubは基本的にWebを作る手法がそのまま通じるところが多く、敷居は低い。WebのコンテンツをそのままePub形式にコンバートしてダウンロードさせるとかはそう難しくないだろう(たぶん、もう誰かがやっているはず)。

あれこれ気がついたこともあるのだけど、まずは初めての電子書籍『Twitterで見たブラジル』(174Kb)をダウンロード。読むためにはePubを読める電子書籍リーダーが必要。

ちなみにiPod Touch 上のStanzaでの動作確認はやってあります。

追記 11:45 Firefoxのaddon、EPUBReaderを入れてみたけど、索引へのアンカーリンクが機能しません。アンカーはタグ文字をurlencodeしました。Stanzaでは動いてくれたのでおkかと思ったのだけど、Firefox上ではそうではなかったようで。Perlのスクリプトで索引付けをしたのだけど、日本語をアンカー用にASCII文字にするのはurlencodeでは十分でないとすると、困ったもんだ。英語だったらシンプルなスクリプトで処理できるのに、またもやここで面倒な処理しなければならないか…。

映画アバター

AVATAR映画アバターの一シーン

映画アバターを見た。

映像を見ていたら、映画のストーリーとは無関係に、脳裏に突然、東アマゾンの壮大な森が浮かんできた。

地元の人びとといっしょにトラックの荷台に乗って東アマゾンの奥地に進んでいた時だった。突然現れた渓谷。それはグランドキャニオンを荘厳な森で包んだような絶景だった。思わず、「止まってくれ。写真を撮らせてくれ」と心の中で叫んだ。こんな景色、こんな美しい森、見たことがない。でも外国人は僕一人、他は地元の人。地元の人にとっては見慣れた光景。トラックは僕の意志とは関係なく、悪路を高速で進み、激しい揺れの中でカメラの電源をオンにすることすらできないまま渓谷は姿を消した。その渓谷は僕の心の中に残るのみ。

その渓谷が映画の中で何度もよみがえってきた。映画の中に現れる幻想的な森林に劣らない圧倒的な存在感だった。

なぜ僕はここの地に足を運んだかのか。東アマゾンの巨大な開発プロジェクトが進み、東アマゾンの自然と先住民族や小農民の生活を破壊し始めており、その開発に関して、異議を唱える国際会議が開かれた。1994年頃だろうか。その会議の後、会議から戻る人びとのトラックに乗せてもらい、奥地まで足を踏み入れたのだった。

東アマゾンには鉱物資源が豊かにある。カラジャス鉄鉱山の鉄鉱石、アルミ、そうした資源を求めて世界の投資が集まり、巨大な開発が70年代から進んだ。その結果、広大な地域で豊かな森林が破壊された。その荒廃が進んだ地域にさらにユーカリや大豆を植えるという巨大経済開発が計画され、その計画が壊滅的に環境を破壊し、また周辺地域の先住民族や小農民の人権が損なわれるという危惧が生まれていた。この計画には日本政府の経済開発援助が使われている。

日本はかなり前からこの地域の開発に関わっている。しかし、日本で十分に東アマゾンでの環境破壊、先住民族や小農民の生活環境破壊については十分知られていない。ブラジルから報告を送った。

そのメールがNHK向けにドキュメンタリーを作っているプロデューサーのもとに届き、NHKで番組を作りたいというメールをもらった。そこで、この会議やこの地域の訪問を通じて知り合った人たちの連絡先をすべてそのプロデューサーに渡した。

取材チームがブラジルに渡り、どれだけ時間がかかったろうか、プロデューサーから重いトーンのメールが届いた。NHKの上からの圧力で番組の筋書きがまるっきり書き換えられてしまったというのだ。

放映された番組には環境破壊や先住民族や小農民の人権については何の言及もなかった。そればかりか、僕が紹介した人びとの映像は、「日本の援助を通じてブラジルの小農民も生産性を考えるようになりました」と開発を賛美する文脈で使われていた。まったくありえない筋書きだった。どうして、巨大な開発によって、追い出される小農民が生産性について学んだ、と言えるのか?

アバターの主人公がスパイとしてナヴィの中に潜入して、ナヴィの世界の情報を盗み出そうとしたように、僕も外部のスパイとして、アマゾンに入り、その地の人びとを裏切った。アバターにはその後の物語があるのだけど。

かの地に、ベロモンチダムという計画通り建設されると世界第3位となる巨大ダムと水力発電所が今、作られようとしている。作られる電力は地域に住む人のためではなく、アマゾンのアルミニウムを精錬されるためにその多くが使われる。この地には多くの先住民族が伝統的な生活を続けている。このダムが作られてしまえば、先住民族の生活を支える川や森林は大きな影響を受けざるをえなくなる。

この開発に対して何をすべきか?

世界社会フォーラムを考えたのは誰?

世界社会フォーラムの創始者の一人であるシコ・ウィタケー氏(Francisco Whitaker  Ferreira、通称Chico[シコ])に2009年12月1日に会うことができた。

短い時間だったのだけど、ひじょうに充実した時間を過ごすことができた。

簡単にその時に聞いた話を中心にまとめておく。

世界社会フォーラムを知らない人のために簡単に書いておくと、世界各地のさまざまな民衆運動が交流する場であり、2001年から毎年開かれている。そのスローガンは「もう一つの世界は可能だ」。世界社会フォーラムとは、世界の富が一部に握られ、多数が貧しいまま、武力や経済力で支配されている世界ではない、新しい世界を、世界中の市民の手で作ろうという動きと言っていいだろう。新しい世界的な民衆運動のあり方として注目されてきた。

この世界社会フォーラムのことを最初に考え出したのは、ある実業家だった、という。彼の名前はOded Grajew。

シコの話しによると、

Odedがパリで休暇を取っていた時、新聞を広げるとどのページもダボスで開かれていた世界経済フォーラムの記事ばかり。彼は顔をしかめた。人を道具にしてしまうフォーラムではなく、人が目的である世界のためのフォーラムはできないものか? すべてはここから始まった。

同じ時、シコもまたパリにいた。Odedはすぐにシコに相談し、シコはルモンド・ディプロマティーク編集長のベルナール・カッセンに相談、みんなOdedのアイデアに興奮し、やがて、ブラジル、ポルトアレグレでの世界社会フォーラムの実現となるのだった。

このOdedという人、調べてみたがすごい人だ。15歳の時に父親を失い、一家の主となり、おもちゃ会社を28の時に創立、42歳でブラジルのおもちゃ会社の連合体の会長となる。自分が作るおもちゃで遊ぶべき子どもが児童労働で傷ついている現実、彼はそれと闘った。

Odedはおもちゃ会社での生産、流通過程で児童労働を一切使わないキャンペーンを展開、CSRの先進的なリーダーとなった。そればかりではない。軍事独裁政権時代に結成された戦闘的な労働者党を支持し、共に民主化運動を担っている。現在のブラジル大統領ルラとも親しい。

Odedは実業家としての地位を捨てて、運動をするというのではなく、実業家だからこそできることの大きさに注目し、企業を変える活動に注力してきた。彼は企業を変えなければ世界を変えられない現実を見ている。企業の社長と戦闘的労働組合の活動家が親友同士であり、運動のパートナーであるというストーリーはなかなかないかもしれない。しかし、Oded Grajewのような実業家が日本にも現れて欲しいと思う。

このOded氏が創設した子どもの権利のためのAbrinq財団、以前にお世話になったことがある。ストリートチルドレンの映画の日本語版を作らせてもらったのだがこの映画はこの財団の支援で作られたものだった。 日本語 http://ow.ly/OXhZ

参考ページ:

Beyond CSR http://ow.ly/OXeB

英語ビデオhttp://ow.ly/OXfA

Interview with Oded Grajew 英文 http://ow.ly/OXgB

世界社会フォーラムを知らない人のために簡単に書いておくと、世界各地のさまざまな民衆運動が交流する場であり、2001年から毎年開かれている。そのスローガンは「もう一つの世界は可能だ」