ブラジルのある農村におけるベーシック・インカムの実験 その1

ブラジル・サンパウロの郊外の小さな村でベーシック・インカムの実験を始めてしまった人たちがいる。

ベーシック・インカムとは収入の額に関係なく、成員全員、子どもからお年寄りまで個人に対して生きていく上で必要最低額を支給しようというものだ。

ブラジルNGOによるベーシック・インカムの実験
ReCivitasによるプレゼンテーション

当然、ベーシック・インカムとは税金などと関わり、NGOが実行するというよりは国政レベルの政策論と思ったので、なんで村でNGOがベーシック・インカムなんだ、と話を聞いた時はまったくつかめなかったが、PARCで開かれた『対話集会 ブラジルのNGOの実践から学ぶ 貧困をなくすために〜農村でのNGOの役割』に参加し、目を開かされた思いだ。

彼らの実践を正確に紹介すべきところなのだが、その余裕が十分ない。通訳もどきをしていて、うろ覚えでしかないのだけど、私にとっておもしろかった、と思ったところのエッセンスだけ、数回に分けて記録に残しておきたいと思う。

この実験を始めたNGOは2007年に創られたヘシビタス(ReCivitas)というNGO。ブルーナとマルクスという若い夫婦が創ったNGOだ。彼らは農村問題での貧困問題、市民権確立の活動をこのNGOを通じて行っていた。

2004年、労働者党政権はベーシック・インカム市民権法を成立させた(Wikipediaポルトガル語)。しかし、実際にはブラジルではこの法律はまだ実行されていない。ルラが再選に臨む時、2003年から始められていた貧困家庭の支援を目的にしたボルサ・ファミーリア(家族支援計画 Wikipediaポルトガル語)をこのベーシック・インカムの第一歩とするとしているが、ボルサ・ファミーリアを今後どうやってベーシック・インカムに転換していくのか明らかにはされていない。

ベーシック・インカムは収入の多さによって差別せず、全員に支給することを基本とするものだ。もし、貧しい人・家庭だけに支給するのでは、その人が貧しくなくなった時に支給を止める必要がある。支給を受けたいがために、貧困状態を継続するということにもなりかねない。また貧困であることを証明しなければならなくなる。その検証に手間・費用がかかってしまう。プライドも傷つくかもしれない。それゆえ貧困な状況に陥っても、受け取ろうとしない可能性もある。収入の高低に関わらず支給するのならそんな問題もない。

ただし、当然、その対象は大きくなり、どう財源を確保するかという問題も出てくる。その場合、これまでの社会福祉がどうなるのかなど、実現するためには国政レベルでコンセンサスが必要となってくる。しかし、ここで難しくなる。ベーシック・インカムがどんな社会を生み出すのか多くの人にとって想像ができないからだ。想像ができないことでコンセンサスを創ることは困難。コンセンサスがなければベーシック・インカムは実現できない。となると鶏か卵かでまったく進まない。

ヘシビタスが思い切った実験に踏み出すのはこのジレンマを超えるためだ。マルクスは言う。「ベーシック・インカムはアカデミズムの中で議論されている限り前に進まない」。彼らはへシビタスでニュースレターの印刷などに使っていたお金を小さなコミュニティに使うのであれば、そのコミュニティでベーシック・インカムが実現できてしまうことに気がつく。それをさっそく実行に移してしまう。

続く

曲がり角にきたブラジル

 急激な経済成長を続けるブラジル。その姿の激変を10年前に誰が想像できただろうか?かつての債務大国は今やアフリカ開発のリーダーになりつつあり、開発援助国に変身した。かつては石油輸入国。今や、プレソルト層という深い地層からの海底油田開発で一挙に巨大産油国になろうとしている。製糖産業とともに衰退すると思われていたサトウキビ農園は今や遺伝子組み換えを駆使したバイオ燃料を世界に輸出する生産拠点になろうとしている。

 外交的にも米国との関係を保ちつつも、イラン外交やアフリカ外交では独自性を見せ、エイズ対策や反飢餓政策では発展途上国のリーダーの1つになった。

 国内の反貧困政策では家族支援プログラムを実施。乳幼児死亡率を激減させ、貧困層の生活向上を成功させており、支持率は今年5月の段階で70%を超えている。任期満了が近い政権でこのような高い支持率を得ている政権はまれではないだろうか?

深刻化する環境問題、地方の搾取

 しかし、この高い支持率と経済成長の陰で、深刻な問題が進行しつつある。それは都市から離れた地方から見ればよりくっきり見えてくる。

 2つの問題を挙げてみよう。1つはベロモンチダム開発、もう1つは森林法の改訂である。前者は東アマゾンの奥地に世界第3位となる巨大ダムと水力発電所を作るという30年前の軍事独裁政権時代に作られた計画だが、先住民族の強い反対のもと、建設は阻止されてきた。1989年にはスティングと先住民族の世界的な反対運動にまで発展している。 

 ブラジルでは大規模停電が頻繁に起き、成長を支えるためと称して大規模な発電計画が出されている。ベロモンチダムはその目玉。ベロモンチダム計画の有効性には専門家からも疑義が表明され、映画『アバター』の監督ジェームズ・キャメロンもベロモンチダム反対運動に参加。それにも関わらずルラ政権はダム建設を強行する構えだ。建設が強行されれば、それでなくとも破壊の進む東アマゾンに大きな影響を与え、先住民族の生存を危うくすることは避けられないとみられている。しかも、それを進めるのが軍事独裁政権や反動地主層ではなく、労働者党政権なのである。

アマゾン森林を危機においやる森林法改訂

 さらに森林法改訂である。1965年に制定された森林法は水源などの保護林の規定を持ち、これまでブラジルの森林を開発から守る憲法のような存在であった。この森林法の規定を大幅に緩和する改訂案が昨年出され、今年の7月に委員会通過。この改訂が利するのはアグリビジネスだけだと、MST(土地なし地方労働者運動)や環境団体、先住民族の支援団体をはじめとするNGOは連携して反対運動を展開したが、この法案を提案したのはなんとブラジル共産党(PCdoB。もう1つのブラジル共産党PCBは反対)。労働者党は党としては反対の立場を取ったが、議会をコントロールする大地主層に押し切られてしまった。

 アマゾンの破壊は大きな気候変動をもたらす危険があり、この森林法改訂は地球大に大きな影響を与える可能性がある。

 今年10月、ブラジルは大統領選を含む総選挙がある。しかし、ベロモンチダムの問題や森林法改訂の問題は争点になりにくい。先住民族は2億近いブラジル人口の20万〜30万を占めるにすぎず、これまで彼らと共にいた労働者党政権は現在は敵対的。森林破壊で脅威にさらされる地方労働者や小農民の声もまた届きにくい。先住民族や森林保護を掲げる緑の党で元労働者党政権環境相マリーナ・シウバ大統領候補は労働者党の候補に大きく離されている。労働者党政権の実現で世界的に注目されたブラジルの民衆運動は大きな難問にぶちあたっている。

ベロモンチに関するTwitterアップデート一覧

森林法に関するTwitterアップデート一覧

電子書籍を作ってみた

といっても、電子書籍のフォーマットの1つ、ePubを使って、データを流し込んでみただけ。

どんなことができるのか、どんな可能性があるのか、何がやりにくいのかを知りたかった。

結論として、ePubは基本的にWebを作る手法がそのまま通じるところが多く、敷居は低い。WebのコンテンツをそのままePub形式にコンバートしてダウンロードさせるとかはそう難しくないだろう(たぶん、もう誰かがやっているはず)。

あれこれ気がついたこともあるのだけど、まずは初めての電子書籍『Twitterで見たブラジル』(174Kb)をダウンロード。読むためにはePubを読める電子書籍リーダーが必要。

ちなみにiPod Touch 上のStanzaでの動作確認はやってあります。

追記 11:45 Firefoxのaddon、EPUBReaderを入れてみたけど、索引へのアンカーリンクが機能しません。アンカーはタグ文字をurlencodeしました。Stanzaでは動いてくれたのでおkかと思ったのだけど、Firefox上ではそうではなかったようで。Perlのスクリプトで索引付けをしたのだけど、日本語をアンカー用にASCII文字にするのはurlencodeでは十分でないとすると、困ったもんだ。英語だったらシンプルなスクリプトで処理できるのに、またもやここで面倒な処理しなければならないか…。

映画アバター

AVATAR映画アバターの一シーン

映画アバターを見た。

映像を見ていたら、映画のストーリーとは無関係に、脳裏に突然、東アマゾンの壮大な森が浮かんできた。

地元の人びとといっしょにトラックの荷台に乗って東アマゾンの奥地に進んでいた時だった。突然現れた渓谷。それはグランドキャニオンを荘厳な森で包んだような絶景だった。思わず、「止まってくれ。写真を撮らせてくれ」と心の中で叫んだ。こんな景色、こんな美しい森、見たことがない。でも外国人は僕一人、他は地元の人。地元の人にとっては見慣れた光景。トラックは僕の意志とは関係なく、悪路を高速で進み、激しい揺れの中でカメラの電源をオンにすることすらできないまま渓谷は姿を消した。その渓谷は僕の心の中に残るのみ。

その渓谷が映画の中で何度もよみがえってきた。映画の中に現れる幻想的な森林に劣らない圧倒的な存在感だった。

なぜ僕はここの地に足を運んだかのか。東アマゾンの巨大な開発プロジェクトが進み、東アマゾンの自然と先住民族や小農民の生活を破壊し始めており、その開発に関して、異議を唱える国際会議が開かれた。1994年頃だろうか。その会議の後、会議から戻る人びとのトラックに乗せてもらい、奥地まで足を踏み入れたのだった。

東アマゾンには鉱物資源が豊かにある。カラジャス鉄鉱山の鉄鉱石、アルミ、そうした資源を求めて世界の投資が集まり、巨大な開発が70年代から進んだ。その結果、広大な地域で豊かな森林が破壊された。その荒廃が進んだ地域にさらにユーカリや大豆を植えるという巨大経済開発が計画され、その計画が壊滅的に環境を破壊し、また周辺地域の先住民族や小農民の人権が損なわれるという危惧が生まれていた。この計画には日本政府の経済開発援助が使われている。

日本はかなり前からこの地域の開発に関わっている。しかし、日本で十分に東アマゾンでの環境破壊、先住民族や小農民の生活環境破壊については十分知られていない。ブラジルから報告を送った。

そのメールがNHK向けにドキュメンタリーを作っているプロデューサーのもとに届き、NHKで番組を作りたいというメールをもらった。そこで、この会議やこの地域の訪問を通じて知り合った人たちの連絡先をすべてそのプロデューサーに渡した。

取材チームがブラジルに渡り、どれだけ時間がかかったろうか、プロデューサーから重いトーンのメールが届いた。NHKの上からの圧力で番組の筋書きがまるっきり書き換えられてしまったというのだ。

放映された番組には環境破壊や先住民族や小農民の人権については何の言及もなかった。そればかりか、僕が紹介した人びとの映像は、「日本の援助を通じてブラジルの小農民も生産性を考えるようになりました」と開発を賛美する文脈で使われていた。まったくありえない筋書きだった。どうして、巨大な開発によって、追い出される小農民が生産性について学んだ、と言えるのか?

アバターの主人公がスパイとしてナヴィの中に潜入して、ナヴィの世界の情報を盗み出そうとしたように、僕も外部のスパイとして、アマゾンに入り、その地の人びとを裏切った。アバターにはその後の物語があるのだけど。

かの地に、ベロモンチダムという計画通り建設されると世界第3位となる巨大ダムと水力発電所が今、作られようとしている。作られる電力は地域に住む人のためではなく、アマゾンのアルミニウムを精錬されるためにその多くが使われる。この地には多くの先住民族が伝統的な生活を続けている。このダムが作られてしまえば、先住民族の生活を支える川や森林は大きな影響を受けざるをえなくなる。

この開発に対して何をすべきか?

世界社会フォーラムを考えたのは誰?

世界社会フォーラムの創始者の一人であるシコ・ウィタケー氏(Francisco Whitaker  Ferreira、通称Chico[シコ])に2009年12月1日に会うことができた。

短い時間だったのだけど、ひじょうに充実した時間を過ごすことができた。

簡単にその時に聞いた話を中心にまとめておく。

世界社会フォーラムを知らない人のために簡単に書いておくと、世界各地のさまざまな民衆運動が交流する場であり、2001年から毎年開かれている。そのスローガンは「もう一つの世界は可能だ」。世界社会フォーラムとは、世界の富が一部に握られ、多数が貧しいまま、武力や経済力で支配されている世界ではない、新しい世界を、世界中の市民の手で作ろうという動きと言っていいだろう。新しい世界的な民衆運動のあり方として注目されてきた。

この世界社会フォーラムのことを最初に考え出したのは、ある実業家だった、という。彼の名前はOded Grajew。

シコの話しによると、

Odedがパリで休暇を取っていた時、新聞を広げるとどのページもダボスで開かれていた世界経済フォーラムの記事ばかり。彼は顔をしかめた。人を道具にしてしまうフォーラムではなく、人が目的である世界のためのフォーラムはできないものか? すべてはここから始まった。

同じ時、シコもまたパリにいた。Odedはすぐにシコに相談し、シコはルモンド・ディプロマティーク編集長のベルナール・カッセンに相談、みんなOdedのアイデアに興奮し、やがて、ブラジル、ポルトアレグレでの世界社会フォーラムの実現となるのだった。

このOdedという人、調べてみたがすごい人だ。15歳の時に父親を失い、一家の主となり、おもちゃ会社を28の時に創立、42歳でブラジルのおもちゃ会社の連合体の会長となる。自分が作るおもちゃで遊ぶべき子どもが児童労働で傷ついている現実、彼はそれと闘った。

Odedはおもちゃ会社での生産、流通過程で児童労働を一切使わないキャンペーンを展開、CSRの先進的なリーダーとなった。そればかりではない。軍事独裁政権時代に結成された戦闘的な労働者党を支持し、共に民主化運動を担っている。現在のブラジル大統領ルラとも親しい。

Odedは実業家としての地位を捨てて、運動をするというのではなく、実業家だからこそできることの大きさに注目し、企業を変える活動に注力してきた。彼は企業を変えなければ世界を変えられない現実を見ている。企業の社長と戦闘的労働組合の活動家が親友同士であり、運動のパートナーであるというストーリーはなかなかないかもしれない。しかし、Oded Grajewのような実業家が日本にも現れて欲しいと思う。

このOded氏が創設した子どもの権利のためのAbrinq財団、以前にお世話になったことがある。ストリートチルドレンの映画の日本語版を作らせてもらったのだがこの映画はこの財団の支援で作られたものだった。 日本語 http://ow.ly/OXhZ

参考ページ:

Beyond CSR http://ow.ly/OXeB

英語ビデオhttp://ow.ly/OXfA

Interview with Oded Grajew 英文 http://ow.ly/OXgB

世界社会フォーラムを知らない人のために簡単に書いておくと、世界各地のさまざまな民衆運動が交流する場であり、2001年から毎年開かれている。そのスローガンは「もう一つの世界は可能だ」