映画アバターを見た。
映像を見ていたら、映画のストーリーとは無関係に、脳裏に突然、東アマゾンの壮大な森が浮かんできた。
地元の人びとといっしょにトラックの荷台に乗って東アマゾンの奥地に進んでいた時だった。突然現れた渓谷。それはグランドキャニオンを荘厳な森で包んだような絶景だった。思わず、「止まってくれ。写真を撮らせてくれ」と心の中で叫んだ。こんな景色、こんな美しい森、見たことがない。でも外国人は僕一人、他は地元の人。地元の人にとっては見慣れた光景。トラックは僕の意志とは関係なく、悪路を高速で進み、激しい揺れの中でカメラの電源をオンにすることすらできないまま渓谷は姿を消した。その渓谷は僕の心の中に残るのみ。
その渓谷が映画の中で何度もよみがえってきた。映画の中に現れる幻想的な森林に劣らない圧倒的な存在感だった。
なぜ僕はここの地に足を運んだかのか。東アマゾンの巨大な開発プロジェクトが進み、東アマゾンの自然と先住民族や小農民の生活を破壊し始めており、その開発に関して、異議を唱える国際会議が開かれた。1994年頃だろうか。その会議の後、会議から戻る人びとのトラックに乗せてもらい、奥地まで足を踏み入れたのだった。
東アマゾンには鉱物資源が豊かにある。カラジャス鉄鉱山の鉄鉱石、アルミ、そうした資源を求めて世界の投資が集まり、巨大な開発が70年代から進んだ。その結果、広大な地域で豊かな森林が破壊された。その荒廃が進んだ地域にさらにユーカリや大豆を植えるという巨大経済開発が計画され、その計画が壊滅的に環境を破壊し、また周辺地域の先住民族や小農民の人権が損なわれるという危惧が生まれていた。この計画には日本政府の経済開発援助が使われている。
日本はかなり前からこの地域の開発に関わっている。しかし、日本で十分に東アマゾンでの環境破壊、先住民族や小農民の生活環境破壊については十分知られていない。ブラジルから報告を送った。
そのメールがNHK向けにドキュメンタリーを作っているプロデューサーのもとに届き、NHKで番組を作りたいというメールをもらった。そこで、この会議やこの地域の訪問を通じて知り合った人たちの連絡先をすべてそのプロデューサーに渡した。
取材チームがブラジルに渡り、どれだけ時間がかかったろうか、プロデューサーから重いトーンのメールが届いた。NHKの上からの圧力で番組の筋書きがまるっきり書き換えられてしまったというのだ。
放映された番組には環境破壊や先住民族や小農民の人権については何の言及もなかった。そればかりか、僕が紹介した人びとの映像は、「日本の援助を通じてブラジルの小農民も生産性を考えるようになりました」と開発を賛美する文脈で使われていた。まったくありえない筋書きだった。どうして、巨大な開発によって、追い出される小農民が生産性について学んだ、と言えるのか?
アバターの主人公がスパイとしてナヴィの中に潜入して、ナヴィの世界の情報を盗み出そうとしたように、僕も外部のスパイとして、アマゾンに入り、その地の人びとを裏切った。アバターにはその後の物語があるのだけど。
かの地に、ベロモンチダムという計画通り建設されると世界第3位となる巨大ダムと水力発電所が今、作られようとしている。作られる電力は地域に住む人のためではなく、アマゾンのアルミニウムを精錬されるためにその多くが使われる。この地には多くの先住民族が伝統的な生活を続けている。このダムが作られてしまえば、先住民族の生活を支える川や森林は大きな影響を受けざるをえなくなる。
この開発に対して何をすべきか?
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