世界社会フォーラムを考えたのは誰?

世界社会フォーラムの創始者の一人であるシコ・ウィタケー氏(Francisco Whitaker  Ferreira、通称Chico[シコ])に2009年12月1日に会うことができた。

短い時間だったのだけど、ひじょうに充実した時間を過ごすことができた。

簡単にその時に聞いた話を中心にまとめておく。

世界社会フォーラムを知らない人のために簡単に書いておくと、世界各地のさまざまな民衆運動が交流する場であり、2001年から毎年開かれている。そのスローガンは「もう一つの世界は可能だ」。世界社会フォーラムとは、世界の富が一部に握られ、多数が貧しいまま、武力や経済力で支配されている世界ではない、新しい世界を、世界中の市民の手で作ろうという動きと言っていいだろう。新しい世界的な民衆運動のあり方として注目されてきた。

この世界社会フォーラムのことを最初に考え出したのは、ある実業家だった、という。彼の名前はOded Grajew。

シコの話しによると、

Odedがパリで休暇を取っていた時、新聞を広げるとどのページもダボスで開かれていた世界経済フォーラムの記事ばかり。彼は顔をしかめた。人を道具にしてしまうフォーラムではなく、人が目的である世界のためのフォーラムはできないものか? すべてはここから始まった。

同じ時、シコもまたパリにいた。Odedはすぐにシコに相談し、シコはルモンド・ディプロマティーク編集長のベルナール・カッセンに相談、みんなOdedのアイデアに興奮し、やがて、ブラジル、ポルトアレグレでの世界社会フォーラムの実現となるのだった。

このOdedという人、調べてみたがすごい人だ。15歳の時に父親を失い、一家の主となり、おもちゃ会社を28の時に創立、42歳でブラジルのおもちゃ会社の連合体の会長となる。自分が作るおもちゃで遊ぶべき子どもが児童労働で傷ついている現実、彼はそれと闘った。

Odedはおもちゃ会社での生産、流通過程で児童労働を一切使わないキャンペーンを展開、CSRの先進的なリーダーとなった。そればかりではない。軍事独裁政権時代に結成された戦闘的な労働者党を支持し、共に民主化運動を担っている。現在のブラジル大統領ルラとも親しい。

Odedは実業家としての地位を捨てて、運動をするというのではなく、実業家だからこそできることの大きさに注目し、企業を変える活動に注力してきた。彼は企業を変えなければ世界を変えられない現実を見ている。企業の社長と戦闘的労働組合の活動家が親友同士であり、運動のパートナーであるというストーリーはなかなかないかもしれない。しかし、Oded Grajewのような実業家が日本にも現れて欲しいと思う。

このOded氏が創設した子どもの権利のためのAbrinq財団、以前にお世話になったことがある。ストリートチルドレンの映画の日本語版を作らせてもらったのだがこの映画はこの財団の支援で作られたものだった。 日本語 http://ow.ly/OXhZ

参考ページ:

Beyond CSR http://ow.ly/OXeB

英語ビデオhttp://ow.ly/OXfA

Interview with Oded Grajew 英文 http://ow.ly/OXgB

世界社会フォーラムを知らない人のために簡単に書いておくと、世界各地のさまざまな民衆運動が交流する場であり、2001年から毎年開かれている。そのスローガンは「もう一つの世界は可能だ」

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