世界各地で遺伝子組み換えを使った農業に対して大きな問題が指摘されるようになった。しかし、日本ではマスコミが事故などの例外を除けばこの問題を取り上げることはまれだ。その結果、納豆の表示に「遺伝子組み換えは使っていない」という表示を見て、自分は遺伝子組み換えは食べていないから関係がない、と錯覚しているというのが日本の現状ではないだろうか?
実際には日本は米国に次いで遺伝子組み換え作物を消費している国だろう。そして日本政府は米国政府よりも遺伝子組み換え企業に寛大な政策を取っているといわざるをえない。米国では大きな反対を受けて、承認されていない枯れ葉剤耐性遺伝子組み換え、ジカンバ耐性遺伝子組み換えが日本ではマスコミや国会が何ら警鐘を鳴らすこともしないまま、続々と承認されて、今またその自動承認ベルトコンベアが新たなものを乗せて動いている。
しかし、この承認のプロセス、よく見るとひじょうに変だ。政府による遺伝子組み換えの承認プロセスは
1. 生物多様性への影響は「カルタヘナ法」
2. 食品としての安全性は「食品安全基本法」及び「食品衛生法」
3. 飼料としての安全性は「食品安全基本法」及び「飼料安全法」
の3つから構成され、内閣府食品安全委員会、厚生労働省、農林水産省、環境省がそれぞれの見地から検討し、「問題のないもののみが輸入、流通、使用、栽培等」されるという。あたかも多角的にチェックしているように見える。
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しかし、カルタヘナ議定書に基づく生物多様性への影響について見てみよう。
遺伝子組み換え企業が提出したデータを元に検討がなされるのだが、その遺伝子組み換え作物が野生生物に(1) 競合における優位性、(2) 有害物質の産生性、(3) 交雑性という観点で影響を与えるかだけが問われる。ここでは野生でない生物、たとえば他の生産物への影響はそもそも評価の対象になっていない。もっともその法的根拠となるカルタヘナ議定書には生物の多様性としてあって、野生に限定する文面は見つからない。なぜ日本の影響審査は野生限定なのか?
たとえば大豆は日本の食文化の根幹にあるものだ。もし遺伝子組み換え大豆が日本で栽培される大豆に影響を与えるのであれば大問題のはずだが、野生ではない大豆は評価の対象にならない。
米国や南米から報告されている農薬の問題はどうだろうか? 現在、モンサントの開発した農薬ラウンドアップ(グリフォサート)に耐性のある、農薬をかけても枯れない雑草が大量に発生し、農薬使用量が劇的に増え、農業労働者や住民に深刻な健康被害が特に南米で起きているが、このような問題は日本の承認プロセスの中ではどう評価されるだろうか?
単純に評価の対象にすらならないだろう。なぜなら、そもそも日本の耕作の是非を問う枠組みは野生生物に影響を与えるかどうかなので、住民たちにどんなにひどい被害を出そうともそれは枠組み外なのだ。
農水省や環境省に言わせれば農薬は農薬としての審査があるということになるだろう。しかし、これもまた実験室の中で問題のないというデータが出れば承認されてしまう。農薬耐性の遺伝子組み換えの場合は、作物が耐性を持つからその作物にも全面的に農薬を振り掛けてしまうことができる。だから、実験室の中でなく、実際に遺伝子組み換え畑で撒かれている場面を前提に農薬がどんな結果をもたらすか、評価しなければならないのに、そうしたことをする枠組みがないのだ。
ベトナム戦争で使われた枯れ葉剤に耐える遺伝子組み換えが登場して、米国では大反対の前に承認されなくても、日本ではそもそもその危険は評価の対象にすらなっていない。評価の対象にならないから検討もされない。当然、そんな審査ではその遺伝子組み換え作物の耕作が安全とは言い切れないはずだが、日本政府は安全として承認している。このままでは世界でどれだけ遺伝子組み換えが問題とされるようになって、遺伝子組み換えが禁止される国が増えても、このままでは日本はずっと遺伝子組み換えを承認し続けるだろう。自ら動かしているベルトコンベアを止めることはできない制御不能状態と言った方がいい。
パブリックコメントでも、どんなに市民がその危険を訴えたとしても、それは無視され、誰の目にも触れられることなく、知られることもなく捨て去られる。
遺伝子組み換え企業の利益のために、日本政府はこの日本列島で生きる人びとの健康とそして遺伝子組み換え作物が耕作される地域の農民、農業労働者や住民の健康と命、そして母なる自然を犠牲にし続けるということになる。
原発の「安全性」も、ワクチンや医薬品の「安全性」も、遺伝子組み換えの「安全性」もその安全を語るのは事実に基づく科学ではなく、企業の利益を代弁する「政治」である。その事実を広く共有し、この政治を変えなければ命は守れない。
現在、12月4日を期限として、枯れ葉剤やジカンバという危険な農薬を使うことを前提とする遺伝子組み換え作物のパブリックコメントが行われている。そのまま送ったとしてもブラックホールに吸い込まれるだけだ。だからこそ、自分のコメントをどこか他の人にも見えるところに示して出そう。
この誤った枠組みを取っ払い、遺伝子組み換え承認行政の仕組みを根本から見直さなければ、どうにもならないところに私たちは来ている。
遺伝子組換えダイズ、トウモロコシ及びワタの第一種使用等に関する審査結果についての意見・情報の募集(パブリックコメント)について(農水省)
TPPに備えて日本は遺伝子組み換え植物の受け入れをスムースにする下準備を着々としているようですね。最近では、食用の農作物では市民からの抵抗が大きいことから、観賞が主な花の遺伝子組み換え植物を簡単に認可して一般に展示、市場に流通させています。青いバラが第一号ですね。切花で生花を買い求めることが出来ます。また、青いコチョウランが現在東京ドームのラン展で展示されています。食用農産物は加工される場合であっても承認審査に時間がかかるのに対して、花卉園芸植物では、審査期間が短いのはおかしいと感じています。特に、コチョウランは昨年作られたばかりなのに、野外への持ち出しが簡単に行われているのには大きな疑問があります。ランは遺伝子組み換えの際に使われるアグロバクテリア菌を除去することが難しく、検査結果が陰性だとしても、植物体の中の僅かな細胞の中に潜んでいて、植物の健康状態が悪くなると、途端に増殖してくることが知られています。こんなトリッキーなものなのに、野外持ち出しの許可が短期間に簡単に出ることは何か目的があるように思えます。私は、国が最終的にはアメリカの条件をすべて飲むであろうTPPに対する市民の抵抗を和らげる目的で、比較的受け入れやすい花卉園芸植物を利用しているのだろうと思います。なぜだか多くの市民は、遺伝子組み換えで作られた青いバラなどは、素晴らしい物として受け入れてしまう傾向があり、食用農産物とは間逆の反応を示します。また、バラは企業が利益追求のために作り出したものですが、コチョウランは大学の研究者が主体となって作りました。公的機関の大学が税金を使ってバラなどの他の植物で既に行われているものと同様の実験操作で青いコチョウランを作っているのは馬鹿げています。研究機関である大学の研究者が、企業の二番煎じで得意げに一般に向けて見せびらかすのは滑稽です。この自己顕示欲の塊のような研究者には、遺伝子組み換え農産物のみを生涯食べてもらいたいものです。また、これら遺伝子組み換えで作られた青い花は、作った本人たちが青といっているだけで、実際は青では無く、紫というべきもので、失敗作にほかなりません。少なくとも大学の研究者ならば完全な青を作ることに力を注ぐとか、遺伝子組み換えに依存しない育種方法で青い花を開発する方法などを作るのが本来の仕事だと思います。まあ、政府と企業や大学との相互利益が成り立ってしまった結果、両者の思惑通りに事が運んでいるのでしょう。日本は負の道にまっしぐらですね。行政のあり方には問題ありだと結論できます。