種苗法改悪と新品種開発

 昨日5月10日に開かれた農水省第2回優良品種の持続的な利用を可能とする植物新品種の保護に関する検討会にオブザーバー参加してきた(1)。

 昨年末のTPP11発効以降、植物の新品種の保護に関する国際条約(UPOV条約)の厳格化による種苗法改悪の可能性が高まってきた。育成者の知的所有権の保護を名目に種子を民間企業に独占される動き(種苗法改悪)につながりかねないのではないか、その1つの動きとして注目せざるをえない。
 この検討会は3月27日に第1回が開かれている。

 今回の会合は国の農研機構の研究部門長を勤めていた樫村さんと山形県農林水産部の佐藤さんの品種育成者のプレゼンを受けた質疑応答によるもの。

 まずこの検討会の委員の構成なのだが、食品会社、研究者、農協、生協、種苗育成者からなっている。農協や生協が入っているのは大事だけど、種苗を買う立場の農家、あるいは自家採種で育てているという立場の農家が委員の中に見られないことに違和感を感じる。農協の担当の方も農家でもあるということかもしれないが、出席されたのはどちらかといえば種苗を売る側の方だろう。買う側を代表すると思われる人が入っていないとしたら、それはバランスに欠くのではないだろうか?(2)

 今回の2名の方のプレゼンはとても興味深いものだった。果樹の新品種育成にはとても長い時間がかかる。農研によるシャインマスカットの場合は品種登録出願までに15年、苗木販売には19年もの年月がかかっている。
 せっかく長い年月かけて育成しても普及しなければムダになってしまう。山形県ではつや姫をブランド米として育て上げるために県全体で広報し、ブランド化して、生産者登録制度を採用して、おいしい米として定着させることに多大な労力を割いてきている。

 農水省の資料では日本で開発した品種が海外に流出したり、自家採種されてしまうことが問題だとしてどう対応するかが強調される。しかし、今回、プレゼンされたお二人からは、品種は使われてこそ育成する意味があり、新品種開発に支持が得られて、開発が継続できることの重要性を強調されていた。つまり、特許を取って、使用側をがんじがらめに縛るような方法ではなく、両方が利益を得られるようなバランスが重要ではないかと言われていた。
 新品種育成にかかる金額は算出が難しいとしながらも山形県では1品種に数億円がかかるとみているという。税金を投じるのであるからそれがどう生かされているかが気になるのは当然だろう。
 しかし、その品種が活用され、農家の所得が向上し、地域経済が維持できるとしたら、これはとても重要な公共事業ということができる。でも、その公共性が否定されたらどうなるだろう? 種子事業だけで採算取れと言われたら? すべては農家の負担にされてしまうのであれば農家としても新品種は高くて使えない、ということになり、使う人がいなければ結局、新品種の開発だって止まってしまう。

 実は日本は新品種の登録が長期的に右肩下がりになり、中国や韓国にも抜かれている。これに対して、農水省は育成者権の強化による種苗法改訂によって対応しようとしている。しかし、実際の現状を見ればそれは種苗育成側にとっても改悪にならざるをえないではないか? なぜ新品種が増えないのか、それは育成者権が十分強くないからではなくて、日本の農業政策そのものに問題があるのではないか? それを検討せずに知的所有権料、特許料の徴収だけを強化する体制を作ることは多国籍企業以外の誰が喜ぶだろうか?

 将来的に農業や生態系がどう変わるかまでを考え、対策を立てる種子事業を維持するには、長期安定した財源の元に公的品種開発体制が必要。果樹の新品種育成には時間がかかるのだから、現在にあった品種ではなく未来にあった品種を作らなければならない。役に立つかわからないが将来の選択を増やすために品種を作ることもありうるだろう。でもそうした利益を生まない事業は営利企業には無理で、営利企業にはできない部分をしっかりとした安定した公的な品種改良事業を長期的に支えていく体制が不可欠だ。
 山形では種子条例が作られたが、これで安心できる、と山形の多くの農家が思っていると誇らしげに佐藤さんは語られていた。さらにその種子法を果樹などその地域で必要な種苗品種に拡げていくことが必要になってくるだろう。必要なのは種苗法をいじることではなく、拡大種子法ではないか。

 新品種が県民や日本の農家、消費者にいかに受け入れられるかが今後の新品種を増やしていく上での鍵だ、というのが今回のお二人の講演と質疑の肝であったように思う。その点にはとても共感する。そしてそれを公共政策がしっかり支えてこそ、種子を育成する側もそれを享受する側も益を得ていくことができる。

 一人の委員はデコポンの例をあげていた。デコポンは農水省が開発した品種だったが、農水省はその価値を認めず、捨てたが、それを拾った農家が栽培して、広い支持が得られる産品へと成長したという。使う側が自由に動けなければデコポンは消えていたかもしれない。

 こうしたやりとりは一部の委員にはまったく響かず、そうした委員たちは種苗法はずっと改訂されていないから改訂して、契約で使用者を縛るべきだという発言を繰り返した。そして、それは今の官邸側の意志なのだろうと思う。でも、それはあまりに現場を無視した考えではないか。さらには海外流出を阻止する体制の確立を、という発言もあったが、かける労力に比べて得られる効果も薄く、事業者に対しても説得力はなかった。しかし、法案が出てくればここが一番使われるのだろう。

 結局、種苗育成事業に独立採算制を適用させ、できない都道府県はその事業から撤退させ、種苗育成を民間企業に移行させていこうというのではないだろうか? 公的機関だからこそ、狭い収支に囚われずに必要な品種を多数作ることができるのに、それを困難にしてしまえば、日本の農業の未来の多様性は激減し、その種子は民間企業の特許、知的所有権によって独占されていくだろう。

 今、FAO(世界食料農業機関)は多様性が激減して農業生産が壊滅的になる危機に対して警鐘を鳴らしている。しかし、今、日本ではその真逆の動きが政府によって進められてしまう危険が強くなっている。多様性問題については指摘がなかった。これほど世界が騒がざるをえない課題なのだから、今後、議論の枠を大きくして、将来の世界の農業の持続性を見据えた土俵で議論していくべきではないだろうか?

 次回(日程未定)は今回とは打ってかわって民間企業の種苗企業のプレゼンとなる。種苗法改悪一色の話になることを危惧せざるをえない。
 自家採種の問題だけに囚われすぎると、今回のような公的種苗育成事業にかけられている問題が見えなくなるかもしれない。今回プレゼンされた品種なども自家採種できないのだけど、それでもそこには公共性があって、地域の農業を支える機能がある。そうした公的事業を採算性を理由に追い込み、民間企業に開放していくことこそ、今回の種苗法に関する議論の肝があるのではないか? そうなってしまえば食・農業は企業の利益に牛耳られてしまう。
 もちろん、新品種だけの議論ではなく、伝統的品種の活用も含めて議論されるなければならない。そのためには種苗法でもかつての種子法でもカバーできず、在来種保全・活用法などの新しい法律が必要になると思う。生物多様性の激減の危機は迫りつつあり、日本に残る貴重な農業の遺伝資源が消えつつある。そちらの危機にもっと警鐘を鳴らすべき時であり、そうした資源を守る活動をされている種採りされている人たちの支援こそが大きな課題ではないだろうか?
 農民だけでなく、多くの消費者が関心を持たなければならない問題だ。

(1)「第2回 優良品種の持続的な利用を可能とする植物新品種の保護に関する検討会」の開催について
http://www.maff.go.jp/j/press/shokusan/chizai/190426.html

(2) 優良品種の持続的な利用を可能とする植物新品種の保護に関する検討会の委員構成
http://www.maff.go.jp/j/kanbo/tizai/brand/kentoukai/attach/pdf/dai1kai-3.pdf
http://www.maff.go.jp/j/kanbo/tizai/brand/kentoukai/kentoukai-top.html

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