細胞農業は羊頭狗肉

 培養肉をめぐる動きが加熱している。でもその熱は新たな技術の可能性による熱狂ではなく、独占を実現できそうだと幻想を持つ投資家の熱狂に過ぎないようだ。この技術への幻想が晴れれば市場が崩壊するのは間違いなさそうである。問題なのは、この騒動にわたしたちの税金が投入されようとしていることだ。しかも、ろくな議論もなく、責任もはっきりしない形で。
 細胞培養肉とは幹細胞を取り出し、それをバイオリアクターで細胞分裂させて培養して肉にしていくものだ。動物を殺さなくても肉が作れるから動物愛護になるとか、牛のゲップのような気候変動ガスを作らずに肉が作れるから気候変動対策になるとか、食料危機対策になるとか、抗生物質使わずに安全な食ができるとか宣伝されている。しかし、実際にはそれとはほど遠い現実が見えてきた。そのギャップを埋めてくれる上で貴重な情報がある(1)。もし、あなたが大金持ちで将来性のある産業に投資したいというのであれば、ちょっと長いが、この情報は必ず目を通すべきだ。培養肉関係はやめておくという結論になるだろう。
 
 まず上げられているのはコストの問題。現在の畜産に対して、相当高いものになる。それ以上に問題なのは、培養肉には免疫システムが存在しないことだろう。
 
 鳥インフルエンザや豚熱は世界的に広まっており、抑えることがきわめて困難だが、それでもまだ生きている動物には免疫があり、一定の感染症への対抗力もある。だけど、培養肉にはそれが一切ない。鳥や牛の細胞の繁殖に適したバイオリアクターの環境は当然、細菌やウイルスの繁殖にも適している。しかも免疫がないから一度入り込んだら、あっという間にバイオリアクターを制圧するだろう。だからやはり抗生物質が不可欠になるだろう。無菌状態に保たれた肉を真空パックし、フライパンの上に出すまで無菌を保てば別だが、感染症には既存の畜産よりも脆弱になる可能性は高い。
 
 動物を殺さなくて済むかどうかも疑いがある。幹細胞を培養するためにはウシ胎児血清などが使われる。つまり妊娠した牛を殺し、中の牛の胎児から取り出す血清が培養肉を作る場合に必要とされる。合成する方法もあるが、コストがかかりすぎ、実際にはそれを得るために妊娠した牛と胎児を殺さなければならないという。
 
 さらに細胞を育てるためには微量ミネラルが不可欠になる。それをどう供給するか? 自然界では土壌細菌と家畜の腸内細菌の力で自然界の中からきわめて効率的に提供される。これを人工的にやろうとするのは大変だ。大豆などから微量ミネラルを人工的に抽出するというのは、エネルギー効率がかなり悪くなるだろう。莫大な大豆やトウモロコシのモノカルチャーが必要となってしまう。
 現在でも米大陸の大豆やトウモロコシは広大な土地の土壌を破壊し、水源を破壊している。そして先住民族を含む人びとの人権を抑圧している。培養肉を作るためにこの破壊的な生産を継続するというのは維持不可能と言わざるを得ない。
 
 わたしたちが食べるという行為はこの自然の循環の一部となることだったはずだ。食べることで、わたしたち自身も自然の一部となる。その循環を強制的に切り詰めたシステムがこの細胞培養と言えるだろう。循環を損ない、生命としてのまとまり(Integrity)を欠いた、命ならぬ命を作り出すことはこの世界に対する背反行為であると思う。
 
 そして、それはどうやら経済合理性もエネルギー合理性も欠くようだ。原発で発電するよりも始末の悪い話ではないだろうか? 経済合理性がないから民間企業では回せないから、今、政府に金を出せ、という動きが本格化している。すでに自民党は細胞農業推進議連を作り、年内に法律を作るという。韓国も同様の動きをしていることを考えれば、米国政府の指示が背後にあるのだろう。膨大なお金を投じて、経済的にもエネルギー的にも生態学的にも合理性のまったくないものがこの細胞培養肉であり、細胞農業であると言わざるを得ないのではないだろうか?
 
 残念ながら大メディアはこうした国策を批判する記事を載せることはなく、ほとんどの人が知らない間にわたしたちの税金がつぎ込まれることになってしまうかもしれない。しっかり声を出していく必要があると思う。

(1) Lab-grown meat is supposed to be inevitable. The science tells a different story.

Lab-grown meat is supposed to be inevitable. The science tells a different story.

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