フランスの移民・難民問題にお詳しく、現実にコミットされる研究者、稲葉奈々子氏が『寄せ場学会通信76号』のために書かれた文章、多くの方に読んでいただきたいものなので、氏の許可をいただいて、掲載させていただく。通信はともかく、『寄せ場学会年報』は購入もできるようだ。『寄せ場:日本寄せ場学会年報』
正規移民を強制退去させる方法
8月中旬、パリ郊外のサンドニ県ラ・クールヌーヴ市を訪れた。高度成長期に栄えた工業地帯で、中間層に近代的住居を供給する目的で多くの公的な集合住宅が建設された。そのひとつ「キャトル・ミル(四千)」と呼ばれる数千戸を有する集合住宅は、現在では貧困層が集中し、失業率が高く、2005年の都市暴動の舞台にもなった、フランスでもっとも「悪名高い」団地である。私がラ・クールヌーヴを訪れたのは、都市開発のために全戸取り壊し予定の「キャトル・ミル」の空き家占拠の聞き取り調査のためであった。パリ市内から地下鉄で13番線の終点のサン・ドニ聖堂駅で降りて、路面電車の線路沿いに徒歩で20分ほどの場所である。
ラ・クールヌーヴ市には大きな廃工場があちこちに残る。社会主義時代の東欧を彷彿させる風景である。国道沿いにトタンでしきられた廃工場の敷地から煙りがあがっており、内部にバラックが立ち並んで多くの人が出入りしている。サルコジ大統領が7月30日の演説で、3ヶ月以内に半数の撤去を宣言した、全国539カ所にあるというロマのキャンプのひとつであろう。サルコジいわく「無法地帯」である。
ラ・クールヌーヴ市と、隣接するオーベルビリエ市は、南仏のマルセイユ市、ドイツ国境のメッス市とならんで、伝統的にロマが多く居住する自治体である。政府はその数を全国で約15000人としている。そのほどんどはフランス国籍のロマである。移動生活をすることは、フランスでは法律で禁じられておらず、むしろ人口5000人以上の自治体に対してロマがキャンプする土地の用意を義務づけている。それでは、ルーマニアとブルガリアの出身者だったら何が問題になるのだろうか。7月末以来1ヶ月間で、キャンプの撤去とともに約1000人がブルガリアとルーマニアに強制退去させれた。うち約8割は帰国援助金(大人1人300ユーロ、子ども100ユーロ)を受け取っての「自主的」帰国であった。ロマを支援する弁護士によれば、強制退去にされたロマの半数は正規滞在だったという(Le Monde 2010年8月31日)。
自由移動の隘路
ルーマニアとブルガリアはEUに加入してすでに3年がたち、EU域内の自由移動は制限されていない。2013年末まで就労は制限されているが、介護、建設、飲食業などの人手不足の深刻な部門の150の職種については就労が認められている。つまりルーマニア人とブルガリア人だけを名指して強制退去の対象とする法的根拠はどこにもない。
EUはすべての加盟国出身者に自由移動を保障すると同時に、「公的秩序、治安、公衆衛生を脅かす」場合には退去強制の対象になるとを定めている。またフランスの入管法では、3ヶ月を越えてフランスに滞在する場合、就労していない者のうち「社会保障に非合理的な負担をかける」者は、強制退去の対象となる。フランス政府はこの規則を根拠にして、ルーマニアとブルガリアのロマの強制退去を正当化している。これは個々に書類を審査して適正な在留かどうかが判断されなくてはならないもので、ルーマニアとブルガリアのロマを集団として強制退去の対象とする根拠にはならない。事実、サルコジ政権によるロマの強制退去はEUの自由移動の原則に反するとして欧州委員会はフランスに説明を求めている。
しかも公的秩序を脅かすとする根拠は、ロマによる公あるいは私有地の占拠だが、これについては北フランスのリールの裁判所が公的秩序を脅かす行為には当たらないと判断している。
克服できなかった歴史となるのか
ロマが「物乞いで、万引きなどの常習犯である」というのは、言うまでもなくフランス人がつくりあげたイメージにすぎない。19世紀以降フランスに居住するようになったロマのほとんどは通常の住宅に定住している。現在フランスに在留するルーマニア人とブルガリア人は約36000人で、そのすべてがロマでもなければ、バラック生活をしているわけでもない。文化人類学者オリベラはバラック生活を送るルーマニア人とブルガリア人を約3000人と推定している(Le Monde 2010年8月10日)。
ロマが差別され迫害されてきた歴史が示すように、一般の人々がロマ=犯罪者というイメージを持つのは今にはじまったことではない。人種主義は、ある特定のエスニック集団に属する人は、生まれつき犯罪者なのだと人々に信じさせる。この人種主義を国家が政策として採用するならば、ある特定のエスニック集団に属すことが犯罪とみなされ、迫害の対象となる。サルコジ政権によるロマの強制退去は、国家がロマを犯罪者として名指すことであり、戦後ヨーロッパが克服しようとしてきた人種主義の歴史を無に帰すことである。9月4日には、人種主義的な移民政策に反対するデモにフランス全国で10万人が参加した。ナチス占領下のフランスでユダヤ人が収容所送りになるのを見て見ぬふりをした結果がもたらした事実を、市民は忘れていない。政府の人種主義にほおかぶりをしてすますことができないのは、日本も同様である。