食料危機に日本は明らかに脆弱すぎるのになぜ日本政府はこれまで抜本的な対策を取らなかったのか? 米国の食料戦略が日本政府の思考の前提となってしまっているからだ。飢えるかもしれないという事態に対して、政府官僚は「解決策は農産物輸出だ」などと平気で応える。民が飢えるのにどうして農産物輸出? なんでそんなに愚かなの? エリートなんでしょ? なぜそうなってしまうかというと、彼らが米国の農産物輸入が大前提というマインドコントロール状態だからだ。食料自給率を上げたら、輸入ができなくなってしまう。彼らは食料自給率を上げるポーズを見せるが、本音では御法度なのだ。だから「日本の農業の発展は輸出以外ない」という話になってしまう。
でも、弱った日本の農業でなぜ輸出で稼げるの? そこで持ち出されるのが技術依存政策(しかも「ゲノム編集」などのバイオテクノロジー)になる。
この輸出・技術依存政策は彼らの農業政策の柱である。でももちろん、輸出で儲かるのは一部の企業だけだ。しかも成功する確率は高くない。その利益のおこぼれは農家にはほとんど届かない。
これまで世界で注目されてきた日本の品種技術は遺伝子操作によらない従来育種であって、それを支える人材は農業人口が激減する中、厳しい状態にあり、その力はすでに中国や韓国に抜かれている。農業の基礎力を強化して、再び人材確保できるようにしなければならないのに、政府はそれには着手しようとせず、その結果、残った手段は遺伝子操作、バイオテクノロジー頼みとなり、日本政府は「ゲノム編集」食品などフードテックに前のめりになる。膨大な予算をバイオテクノロジー研究に注ぎ込み、なぜかこの分野だけ日本が世界から突出し、世界で実質唯一の「ゲノム編集」食品流通国になってしまった。
しかし、この成功率はさらに低い。世界の多くの人びとはそうした食を拒否している。市場は広がらない。さらにこの開発は金食い虫であり、しかも食の企業独占を進めて、食料危機を深刻にするだけでなく、本来、支えなければならない生産者に行くべきお金と時間が消えていく。
その上、この分野の基礎研究も中国が圧倒している。日本がわずかに成功したとしても、それは開発した企業が少し潤うだけで、農家の元には利益は届かない。
結局、輸出もできず、輸入もできず、国内でも農家がいなくなり、農業生産が落ち込めば、飢餓は避けられなくなる。この日本政府の政策の延長線上ではもはや飢餓国家になる以外のシナリオはあり得ないのだ。危機は迫っている。現在進行中の生産者の激減を考えれば今すぐ転換する必要がある。
政権交代は不可避だが、果たしてこれまでの日本の農業政策を根本から変えるだけの政策を新政権は持てるだろうか? 官僚のマインドコントロールを打ち払い、戦後日本が続けた米国食料戦略補完政治を克服できるだろうか? これは単純な政権交代よりもさらに困難な課題になるかもしれない。
さて、どうするか? まず地域の食のシステム強化に集中することだろう。その鍵はやはり地方自治体による食料公共調達をバネに地域間提携を発展させることだ。学校給食はその柱となる。都市部自治体が農村部自治体と提携する。都市型自治体が一定の買い取り価格を提示して、農村部自治体で生産の継続、新規就農者を確保する(もちろん都市農業の振興や自治体内での循環も重要)。農村部は生産を維持できるし、都市部にとっては食料の暴騰という事態からの安全策となる。もちろん、公共調達だけでは十分ではないが、まずはここが出発点となる。ここを基軸に新たな地域の食の循環システムを構築しなおしていく必要がある。鍵はグローバルな食ではなく、ローカルな食、地域に貢献する食を選ぶということ。
残念ながら現在、少なからぬ地方自治体が国からの支援と企業誘致ほしさにバイオテクノロジー推進政策を進めている。「ゲノム編集」などの遺伝子操作技術、細胞培養などのフードテック推進はまさに食料危機を加速させる政治であり、そして地方経済を衰退させる第二の原発村行政になってしまうから、止めなければならない。そんなお金や時間を浪費させずに、すべてを地域の食のシステム構築に振り向ける必要がある。
地域の生態系の力を取り戻す農業を強化する、そうする力の源泉は人びとの食の決定権にある。どんな食を選ぶか、どんな生産を支えるか、地域内、あるいは地域間の生産者・消費者を結びつけることが肝心だ。それをもとに、タネから消費まで、企業・国まかせにしない、地域のためのシステム作り、観光、医療、福祉、教育などさまざまな人たちとの協力関係をうちたてる。他の自治体との連携も不可欠。そうした地域が増えれば国も変わらざるを得なくなる。できることは山のようにある。時間をロスしている場合じゃない。