現在の種苗法、なかなかわかりにくい法律です(種苗法条文)。そうなったことにはわけがあります。
そもそも農家の権利として当たり前に認められていた自家採種する権利と育成者権をどう折り合いをつけるか、それをめぐって、1998年の種苗法改訂に関わった方たちは相当苦労されたと聞きます。つまり、この時点での種苗法は「登録品種についても⾃家増殖と育成者権のバランスが重要」だと考えられていたわけです(「」内は今年の農水省資料から)。それゆえ複雑な法律となってしまいました。
「登録品種だから自家採種禁止は当たり前」などと言われる人がいますが、それは歴史的には決してそうではなかったのです。
現行種苗法では株分けなどで栄養繁殖するものは自家増殖禁止に指定されることがありますが、種子で増えるものは別であり、農家による自家採種は原則認められるというものでした。
しかし、種子法廃止が決定される2017年以降、法改正もせずに農水省は法解釈を変え、種子で増やすものにまで自家増殖(自家採種)禁止指定するようになり、今ではニンジンやほうれんそうなどほとんどの品種が農水省による自家採種禁止指定品種となってしまいました。そして、今、さらに自家採種一律禁止という提案が農水省からでてきました。
かつて種苗法改訂に関わられた農水省OBの方はこの提案は農民の権利に対する冒瀆であると嘆いていると聞きます。
そもそも農業とは育種をされる人とそれを使う人が両輪となって進んでいくもの。しかし、現在の日本政府は前者の育成者権、民間企業の知的所有権のみを強化することにしか関心がないと思わざるをえません。買ってくれる農家を増やすことの方が地域の種苗会社の利益になる。肝心の農家がいなくなってしまうような政策では地域の種苗会社も廃れ、多国籍企業だけの利益に吸い上げられていくことでしょう。
地域の種子・苗をどう育てていくのか、そこから共に考えていくべきであり、今、生物多様性が激減し、農業生物多様性も減る一方の中で、それに公的資金含む資源をどう振り向けるのか、地域の宝となる遺伝資源をどう守っていくのか、そのために必要な政策は何か、じっくり考えていく必要があるはずです。
種子とは生きものであり、それは歴史的に農家が育んできた命であって、単なる商品でもありません。また、マイクロソフトの製品や工業製品の知的所有権と同じに扱うべきものでは決してありません。インドではそうした工業的発想を廃して農民の権利を認める種子に関する法律が成立しています。しかし、今、自由貿易交渉、RCEPをめぐって、インドのこの政策が攻撃されています。インドネシアでは自家採種を禁止させる法律がすでに成立してしまったと聞いています。これらは連動した動きと考えざるをえません。
食という私たちが生きていく上で本源的な権利の元になるこの種子の問題、ぜひ多くの人に関心を寄せていただけますことを望みます。