イタイイタイ病と言っても富山県神通川の話ではなく、対馬のケースを追ったルポ。イタイイタイ病では、カドミウムの摂取によって、腎臓がやられて、体内のカルシウムが体外に排出されてしまい、骨がスカスカになってしまい、骨が折れやすくなったり、神経の痛みに襲われる。特に出産時にミネラル分を胎児に与え、ミネラル不足になった女性が、カドミウムを摂取してしまうと発症しやすいと言われ、患者には中高年の女性が多い。
カドミウムは自然に存在する元素だが、ヒ素と同様、人体には有害であるが、主に鉱山開発によって、生活環境内に出てきてしまう。富山県神通川のイタイイタイ病は三井金属による神岡鉱山の未処理廃水が原因とされる。同じ症状に苦しむ人が対馬に現れたのだが、イタイイタイ病ではなく、イタクナイイタクナイ病だと揶揄されるような状況が生まれる。そこに鎌田氏が飛び込み、その現地での人間模様をルポしたのがこの本である。
取材は1960年代、本が出たのは1970年。随分昔の本を手にしたと思った。しかし、読み進めば読み進むほど、この現実は50数年前のものではなく、現在を語っているとしか思えなくなってきた。
なぜ、イタイイタイ病がイタクナイイタクナイ病になってしまうのか? 本来、犠牲者であり、抗議すべき人がその被害を逆に否定し、取材に来た鎌田氏を追い返そうとする。地域の人をしらみつぶしに当たっても鉱山会社東邦亜鉛に抗議する人には出会えない。明らかに人びとの健康は蝕まれていると考えられるのに東邦亜鉛を悪く言う人はいなかった。イタイイタイ病が発生した村と言われたら「風評被害」になる、加害企業を追い詰めて出て行かれたら困るから、責任追及は御法度で、犠牲者にも「イタクナイ」と言わさせる。犠牲者は補償もほとんど受けずに、その厳しい現実を受け止めなければならない。なぜ、こんな状況が生まれたのか?
取材でショックを受けた鎌田氏はその反応が生まれた背景を分析していく。対馬の当該地域の人びとは決して最初から東邦亜鉛を諸手を挙げて歓迎していたのではなかったことが明らかになっていく。そして、この企業が政府や県とも結びついて、巧妙に責任逃れをしてきたこと、住民の人の良さにつけ込み、さらに緻密な密告制度、スパイ網を強いて、住民に分断を持ち込み、労働組合を潰し、責任追及を不可能にする体制を構築してきたことがあぶり出される。
要するに「風評被害」とは汚染者が汚染責任を果たそうとせず、国も県も共犯となって、被害者を償わない、無策に終始し、結果的に逆にその責任を被害者全員に被せることだと言えるだろう。責任を取らせない限り「風評被害」は終わらないのだ。
責任を認めない政府、住民を守らず、東京の資本の側に立つ長崎県、問題に切り込まないマスコミらの不作為によって、カドミウムは流し放題となり、流域の住民の健康や農業は大きな犠牲を被ることになる。それでも抵抗運動は起きなかった。一方、住民に多大な犠牲を強いた企業はカドミウム問題が社会問題になり始めてからわずか10年ほどで対馬での操業を打ち切ってしまった。未来のために犠牲を甘受した犠牲者たちはまったく報われなかった。
この問題は終わった問題とは言えない。いや、自主性を失わせる教育、企業や政府に忖度するマスコミ、企業と一体化する労働組合の問題はこの60年代よりも、今の方が深刻化していると言わざるを得ない。人びとを分断させ、ものが言えない状況を作り出すその手法は体系化されており、学校から職場に至るまで社会のあらゆる場に徹底されており、戦前の沖縄戦から東電原発事故でも、現在でもものの見事に機能していると言わざるをえないのではないか。何も変わっていないどころか、悪化している。本を読み進むにつれて背筋が冷たくなる思いを感じて一気に読んでしまった。
しかし、抵抗運動は生まれなかった、と書いたがこの本の初版が出た後に劇的な展開を遂げる。この責任企業、東邦亜鉛の一人の技術者が内部告発に立ち上がる。そしてその内部告発を受け取った地元の農民組合は立ち上がるのだ。想像もできなかったどんでん返しが増補版の終章には書き加えられている。
今の日本は数限りない「風評被害」を生み続ける社会である。今後も新たな「風評被害」が作られるだろう。そして、それは責任が問われない政治が続く限り、永遠に続く。この憂鬱なシナリオを止めるために、何をしなければならないか、そのヒントがこの本の中にある。
鎌田慧『隠された公害―イタイイタイ病を追って』
紙の本は古本屋でしか売っていないかもしれないが、ヨドバシカメラの電子書籍であれば読むことができる。
鎌田慧コレクションIII 隠された公害―イタイイタイ病を追って(アストラ) [電子書籍]
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