イタイイタイ病、カドミウム汚染の告発はどう可能になったか?

 『神通川流域民衆史 いのち戻らず大地に爪痕深く』能登印刷出版部
カドミウム汚染と言えばイタイイタイ病。なぜこの公害病が生まれたのか、そして行政やメデイアはどう動いたか、事態解明・打開を可能にした主体は誰であったかを浮かび上がらせる本。
 
 このイタイイタイ病を生み出したのは三井資本が握る神岡鉱山が作り出したカドミウム汚染であることは今では明らかだが、明治末期、大正初期からすでに健康被害は出続けていたにも関わらず、その原因を厚生省(当時)が発表したのは1968年だった。
 その間、行政は犠牲が出ていることを把握しながら責任ある行動を取ろうとはしなかった。マスコミもまたその行政や責任企業の意向を忖度をし続けた。これが世界でも類のない規模のカドミウム中毒患者を作り出した構図である。この問題を打開したのは汚染地域の農民・住民と、カドミウムとの因果関係を立証した医師の力であったと言っていいだろう。その連携を可能にしたのは母を失った一人の農民の奮闘だったという。
 そしてこの被害を生み出した根本原因は富国強兵の旗印の下、兵器生産に不可欠な鉛、銅、亜鉛の無茶な増産政策と体制にあったと言えるだろう。明治維新により鉱山資源は国有とされ、その後、財閥系企業中心に払い下げられた。カドミウムは鉛、銅、亜鉛鉱床に微量含まれ、後に産業用としても使われるが、長い間、不要な鉱滓として廃棄され、それが各地でカドミウム汚染をもたらした。このカドミウム汚染の責任は国・地方自治体、鉱山企業にあることは明白だ。
 米国との戦争開戦前、日本の銅の自給率はわずか1割だったという。弾丸を作る上で不可欠な銅が1割しか自給できない。しかも禁輸という中、日本の各地の鉱山がどのようなプレッシャーを受けたことか。神岡鉱山においても、その乱開発は女性を含む日本人の鉱山労働者にも犠牲を強いたが、それ以上の犠牲が強制連行された朝鮮人・外国人捕虜に強いられた事実を忘れてはならないだろう。
 
 カドミウムは自然界に存在する元素だが、人体に入ると腎組織を損傷させ、カドミウム腎症を発症させる。この症状が進行するとカルシウムが体内から失われ、骨がボロボロになるイタイイタイ病になり、命を落とすことになりかねない。特にその被害は産後の女性に集中した。しかし、「自然界にもあるものだから、鉱山事業だけじゃない」「カドミウムはイタイイタイ病の原因ではない」などとその責任を曖昧にする情報がマスコミなどでも流され、その問題を告発した住民や研究者には攻撃が加えられた。
 
 神通川流域の人びとの中でも、告発する人を止めようとする周りからの圧力は強かった。「嫁の来てがなくなる」「米が売れなくなったらどうするんだ」と大勢に取り囲まれたという。そんな圧力に対しても、反論せず、人びとの怒りと不安を受け止めながら、国や企業の責任を取らせる説得を続けた一人の優れたリーダーの姿をこの本で知ることができる。
 こうした闘いが大きな原動力となって、当時は世界的にも画期的であった「農用地の土壌の汚染防止等に関する法律(農用地土壌汚染防止法)」と「公害防止事業費事業者負担法」が1970年に成立し、汚染者負担原則がOECDの採択に先立ち日本において法制化された。これは極めて重要な達成なのだが、その後、政府はこの原則を無視し続けている。
 
 そのことは東電福島原発事故でも明白に現れた。汚染企業の責任、汚染被害を訴える人を「風評加害者」として罵声を浴びせているのが現状である。しかし、そうして人びとを沈黙させれば、汚染の拡大を止めることもできず、被害も大きくなるだけの話だ。汚染問題を解決するためには、汚染責任者(企業)の責任を明確にして、国など行政と共に責任を取らせることが不可欠であることが、この困難な闘いの歴史からもはっきりとわかることだろう。汚染責任者に責任を取らせることなくして、先はないのだ。
 
 イタイイタイ病はいくつもの意味において過去のものではない。個人的なまとめになってしまうが、現在の問題点として以下の5点をあげておきたい。

  1. 公害病認定が極めて狭くしか行われておらず、多くが切り捨てられている。
     イタイイタイ病は公害病として認定されたが、その前に現れる症状のカドミウム腎症は発症すると、その後のカドミウム摂取量を減らしても症状が不可逆的に進行し、命の問題になりかねないにも関わらず、公害病とは認定されていない。
     そしてイタイイタイ病認定は神通川流域に限られ、他の地域、対馬(長崎県)、生野(兵庫県)、梯川(石川県)、小坂(秋田県)などは切り捨てられている。隠されたイタイイタイ病によって犠牲となっている人は存在している可能性が高い。
  2. 汚染土壌の対策地域は実際に汚染された地域の10分の1程度に抑えられ、対策地域でもカドミウムの値は下がっても、土地の軟弱化など耕作には困難な状態が出現しており、解決したとは言い難い。
     客土(汚染されていない土壌への入れ替え)の後、沈下により農機が使えない農地も出ている。そして何より対策地域は限定されており、対策もされていない汚染地域が現在も残っている。
     さまざまな対策が研究されたものの、根本的な土壌、農地の汚染浄化は手付かずである。
  3. 捨てられた鉱滓は今も鉱滓ダムに貯められたままであり、集中豪雨や地震によって決壊する可能性や、ダム施設の経年劣化によって川などに漏れ出て、新たな汚染が広がる可能性がある。
  4. 日本国内の多くの鉱山は閉山となったが、その後、日本は必要な鉱山資源を海外に求めたが、イタイイタイ病も輸出された可能性がある。
  5. 政府はこの4大公害病の後も、同様の姿勢を続けている。そのことは東電福島原発事故の後の対応を見れば明らかである。汚染企業を免罪し、その負担をすべての人びとに押しつける姿はまったく変わっていない。1970年に法制化された汚染者負担原則は今でも無視され、生かされていない。イタイイタイ病、水俣病などの歴史に学ぶことが今、重要となっている。

 この本の最後の言葉でこの投稿を締めくくりたい。
 
「土を滅ぼすものは文明をも滅ぼす。
 民衆の声、民衆によせる眼差しを失った企業にも国家にも存在価値はない。」

 
『神通川流域民衆史 いのち戻らず大地に爪痕深く』能登印刷出版部
向井 嘉之、金澤 敏子、高塚 孝憲 共著
https://honto.jp/netstore/pd-book_32221627.html

「イタイイタイ病 民衆から考える ジャーナリストら本出版」
https://digital.asahi.com/articles/ASR1L7RM3R1LPISC007.html

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