セラード開発を問う

日本とブラジルの関係を考える時、セラード開発問題を避けて通ることはできない。セラードとはブラジルの中央部にあるサバンナ地帯だ。この地帯で日本政府は政府開発援助(ODA)を使って大規模な農業開発を行ってきた。

しかし、このセラード開発をめぐる問題は日本の中で十分伝わってきていない。そこでこの問題について簡単にまとめてみた。

日本と大豆

日本の食文化にとって大豆は欠かせない。醤油や味噌がなければ味付けできないし、豆腐など、日本の中で大豆はなくてはならない位置を占めている。しかし、明治以降、政府の進める「富国強兵」政策の中で大豆生産は激減、第2次世界大戦期には自給率2割前後まで落ちていた。

農村の疲弊の問題は日本社会を揺るがす問題だった。日本政府はそれを国内改革により解決するのではなく、朝鮮半島、中国東北部への侵略という道を選んだ。戦前、日本の8割の大豆を支えたのはこの地域からのものだ。満州鉄道は別名大豆鉄道と言われるほど、その輸送の主要部分を大豆が占めていた。そして、日本だけでなくヨーロッパにも油の原料として輸出されるほどだった。

日本の敗戦、植民地体制の崩壊に伴い、中国東北部、朝鮮半島からの大豆供給が止まってしまう。その結果、日本社会に生み出されたものは飢餓的状況だった。当時の資料をひもとくと、このままでは社会叛乱が起きてしまう、なんとかタンパク源を確保しなければ、と必死になる官僚の姿が見えてくる。結局、その後、日本は米国に大豆を大きく依存することになる。

それが再び揺らぐのが1973年のニクソンショック、大豆禁輸である。当時、独自の方向を模索しつつあった田中角栄内閣に大きな衝撃が襲った。米国以外からの大豆確保が模索される。ブラジルなどの南米、インドネシア、アフリカがその候補となるが、インドネシアは1974年に反日暴動が起きるなど、到底その余地はなく、その当時はアフリカにはそのためのインフラ整備に課題があり、結局、選ばれたのは軍事独裁政権が強権的な形で民衆の声を押さえ込んでいたブラジルだった。

そして1974年にJICAが作られる。国際協力を謳っているもののそのスタート時の最大の課題は日本のためのタンパク源の確保であった。そのスタートがセラード開発事業だが、JICAによればそれは「奇跡の開発」という大成功ということになる。

しかし、この「国際協力事業」が果たしてどれだけ正しかったのか、検証しなければならない時期に来ている。その事業が「国際協力」という名にふさわしいものであったか、社会的に経済的に環境的に妥当だったか、本当に望ましい開発だったかを問い直さなければならない。そしてなにより、日本にとって正しい方向だったと言えるか問い直す必要がある。

食料主権を振り捨てて、ひたすら国外に自らの生存に不可欠な食料を依存する政策、それが正しかったかどうか、それが問われなければならないはずではないだろうか? ここではこのセラード開発事業で何が引き起こされたかをみておくが、この日本の食料主権の問題もまた重大な問題であるはずだ。

セラード開発事業

1974年9月、田中角栄、ガイゼル・ブラジル大統領会談で、セラード開発が合意され、日伯セラード農業開発協力事業(PRODECER)がスタートする。3期に渡り、長期にしかもブラジルのセラード南部からアマゾン東部におよぶさまざまな地域で行われたプロジェクトである(第1期1977年〜85年、第2期1987年〜92年、第3期1994年〜99年)。

この開発プロジェクトをJICAは「ブラジルの緑の革命」「不毛の大地を穀倉地に変えた奇跡」「人類史上初めて熱帯圏で近代的大規模畑作農業を実現した」として奇跡的な成功プロジェクトだといって大々的に宣伝しており、今年リオデジャネイロで行われたRio+20においても環境に配慮したプロジェクトとして宣伝するサイドイベントを開催しているほどである。

その実態はどうだったのか? 確かに経済的な効果からいうと、セラードでの大豆生産がブラジル全体での主要生産を占めるほどになっており、それに伴い、関連産業も生み出されている。その経済効果から言うならば成功という表現は間違いではない。

しかし、経済効果ですべてを言い尽くすことはできない。社会的に、あるいは環境的に正しいプロジェクトであったと言いうるだろうか?

まずはセラードはどんな地域で、どんな生態的な特徴を持っているのかを見てみたい。

セラードはブラジル中央部のサバンナ地域で、ブラジル全土の24%を覆っており、日本の約5.5倍の広さがある。年間降水量は800〜2000ミリあるが、しかし厳しい乾期がある。土壌と根が複雑に絡み合い、スポンジのように水を吸収し、北に位置するアマゾンや南につながるパンタナル、北東部に広がるサンフランシスコ川の水源となっている。極めて強い紫外線と乾燥に耐える独自の進化を遂げた生態系を持つと言われ、世界でもっとも生物多様性に富むサバンナとブラジル人は自慢する。

しかし、その土壌は古く、栄養には乏しい。一度、破壊されると元に戻ることは極めて難しい脆弱な生態系と言われる。

詳しくはブラジルの公共放送TV Brasilが作ったセラードの特集番組を見てほしい。元の25分ほどの番組を13分ほどに短くして日本語字幕をつけたものが下記である(この日本語字幕では省略した部分はオリジナルを参照していただきたい)。

セラードの危機 SOS Cerrado from INYAKU Tomoya on Vimeo.

セラードはアマゾンやアトランチカ森林などと異なり、材木として価値が見出されるような木が生えているわけではない。盆栽のように曲がりくねった木に代表されるように特異な植生がそこにある。また動物も他には見られない動物が数多くみられる。よそ者がこの地に農地を拓こうとしてその気候ゆえ成功しなかった。それゆえ、かつては外部の人たちはこの大地を「不毛」と呼ぶことはあった。

最近は上の番組にあるようにその生態の貴重さの認識が高まっており、「世界でもっとも生物多様性に富んだサバンナ」はセラードの枕詞になりつつある。アマゾンやパンタナル、アトランチカ森林、カアチンガなどの生態系をセラードが支えるというセラードの果たす役割も最近、広く認識され始めている。

しかし、そのセラードの生態系が危機に陥っている。セラードの生態的な危機状況がこの地域で行われている農業開発モデルにあると多くの人が指摘している。その農業開発モデルはこの日本とブラジル両国の共同事業として行ったセラード開発プロジェクト(PRODECER)が生み出したものだ。

セラード開発プロジェクトの特徴

この開発プロジェクトの特徴はモデル拠点開発という特徴がまず上げられる。つまり、広大なセラードの中で拠点を選び、その開発拠点の農業経営が可能になるような機材の供与、そして研修を通じて、入植農家の活動を支援する形を取った。

その入植した農家はセラード地域の伝統的住民である先住民族やキロンボ(黒人独立共同体)住民、小農民ではない。その人たちは排除された形で外部の農民組合が入植してきた。その農業は機械化された大規模な農地を開墾する企業的農業経営である。

セラードの大地は大規模農業を展開するには土壌の成分が弱すぎるため、石灰や化学肥料の大量投入が不可欠であり、規模の大きな初期投資がなければ不可能なものであった。

その耕作する作物の多くは大豆、ユーカリ、サトウキビ、コーヒーなど輸出向けのものであり、地域消費の作物の割合は極めて低い。

そして2005年に強引に合法化されてから遺伝子組み換え大豆がわずかなうちにブラジルの大豆生産のほとんどを占めるほどになってしまった。モンサントの宣伝とは裏腹に、モンサントの遺伝子組み換え大豆の生産でラウンドアップというモンサントの開発した除草剤の使用が激増するという事態が生まれている。

2008年にはブラジルの農薬使用量は世界一になってしまった。このラウンドアップの毒性についてはさまざまな研究でその有害性が指摘されている。実際に農薬使用により、ブラジルの農村部で発ガン率が高くなってきていることが報告されている。

遺伝子組み換え作物自身が人間に対して、あるいは環境に対して有害であるという報告も出されており、ブラジルの生態系や農村地域の人の健康に与える影響もさることながら、その農産物による健康被害もまた懸念が高まっている。

セラード開発による社会的影響

この農業開発が「成功」することで、このセラード地域には外部から関連産業で働く人も多く入ってくることとなった。セラード地域での人口は増えている。同じブラジルだからと言うかもしれないが、ブラジルは多様で、セラード地域とそれ以外の地域では文化も歴史も異なる。外部からの住民が新たな産業の担い手となり、伝統的住民、小農民として生きていた人たちが農業労働者としてセラードで急増した都市のファベラの住民に変わっていき、マイノリティとなっていく。

そして広大に広がった農地で生産される作物は輸出向けである。農業生産は大きな費用のかかる種まきの時期から収穫まで時間がかかる。そのため多額の融資が必要であり、また国外への輸出を握る大手の穀物メジャーの影響力が否が応でも強まる。国外の市場に直結した輸出向け原料の生産工場と化していき、地域の自立性は損なわれていく。

残念ながら、JICA関係者による現地の小農民や先住民族の組織との直接の対話などは生まれていない。勝ち組のアグリビジネスや入植組合との間だけでWinーWinの関係だと自画自賛を行っていると言わざるをえない。

人びとの動き

セラード開発が合意されたのは軍事独裁の厳しい時代だった。労働組合、農民組合は動きが取れなかった。表ではなかなか声を出せない中、カトリック教会はそうした人びとのシェルターとなった。セラードはまた土地をめぐり、人びとの権利が無視され、暴力の厳しい地域でもあり、1975年にはセラードの中の町、ゴイアニアで土地問題に取り組む教会の中の委員会 Comissão Pastral da Terra (CPT)が結成されている。

1984年には土地なし農業労働者運動(MST)が結成され、1985年に軍政は終わりを遂げ、1988年に新憲法で農地改革が法制化される。農地改革は人びとの合法的な権利となった。しかし、土地問題、農村での奴隷労働は解決の兆しを見せない。それどころか逆農地改革とも呼ぶべき土地の集中が進んだ。

セラードの価値を見直し、開発を見直す動き

セラードが南米の生態系に果たしている役割に関する認識が進み、セラード保護の持つ意味もブラジル社会で認知され、セラードの美しさも再認識されるようになってきている。セラードを主題にした美術展なども頻繁にブラジル各地で開かれるようになった。

しかし、残念なことに日本にはその情報が届かない。マスコミでは常にセラードは「不毛の大地」として報道される。ブラジル人の「世界でもっとも生物多様性豊かなサバンナ」という認識とJICAや日本のマスコミがかき立てる「不毛の大地」という認識の断絶がいかに深いか真剣に考える時ではないだろうか?

ブラジルのアグリビジネスにとってのゴールドラッシュ

90年代以降、狂牛病から植物性の家畜の餌としての大豆、そしてバイオ燃料をめぐって、大豆やサトウキビへの需要が急激に伸び、ブラジルのアグリビジネスにとっては今は利益拡大の最大のチャンスとなっている。その熱狂により、先住民族の土地やアマゾンの熱帯林含めて開発圧力が急激に高まっている。これまでブラジルは民主化されたと思われているが、ブラジルの森林を守ってきた森林法(Código Florestal)の改悪をめぐり、議会内にどれだけ大土地所有者が未だに力を持っているかを示し、その森林法も環境団体や小農民運動の反対に関わらず今年、改悪された(大統領拒否権で議会の改悪の通りが実現することにはならなかったが)。

とりわけブラジルは以前からバイオ燃料開発を行ってきたバイオ燃料先進国である。以前は石油が取れなかったブラジルでは石油輸入による貿易不均衡に対処するため、バイオ燃料の開発に力を入れ、世銀の支援もあり、バイオ燃料を使う自動車が多くを占めるほどになっている。豊富なサトウキビ畑を背景にその技術力は確かなものがあり、世界的なバイオ燃料ブームはブラジルのバイオ燃料業界にとってまさにゴールドラッシュの時代と言える。

こうした動きの中でセラード保護を求める声がかき消されかねないほど、開発圧力は高くなっている。しかし、それを単にセラード開発の「正しさ」を証明する動きと見るのではなく、セラード開発がもたらしている環境破壊や地域社会の破壊の問題を見つめる必要がある。それを抜きに、奇跡の成功とは言えないはずである。

日本での報道の問題

残念ながら日本での報道は現地の地域住民の声を伝えることはこれまでほとんどない。セラード開発の報道は常にその成功を無条件に礼賛するものがほとんどであり、現地の声を伝える努力は押さえ込まれてきた。しかし、ブラジルに多く存在しているNGOを通じて取材すればこの開発で置き去りにされた人びとの声を取材することは不可能ではない。しかし日本のマスコミでそれを行った例はきわめて例外的なものだったといわざるをえないだろう。

その結果として、セラード開発問題についてきわめて偏った認識が定着してしまう結果となってしまっている。それが世界一の生物多様性の豊かなサバンナと不毛の大地というまったくバランスの取れない対立に陥っている原因であろう。

今こそ、JICAはこれまで対話してこなかったセラードの伝統的住民との対話、環境運動や小農民の運動との対話に乗り出して、この間のセラード開発のもっている問題を認識し、修正を図っていくべき時であろう。

モザンビークでの開発計画 ProSAVANAについて

ブラジルは貧困層も多いが、社会的インフラはそれでもある国であった。セラード開発が地域住民を排除して歪みを作り出しながらもブラジル社会が暴発するところまでいかなかった背景にはそうしたブラジル社会のインフラの状況もあったと言えるのではないだろうか?

国連世界食糧計画の飢餓地図2012 World Food Programme  http://www.wfp.org/hunger/map現在、モザンビークに対して、セラード開発を移植しようとするProSAVANAが進められている。しかし、モザンビークでは30年前のブラジルと比べて、さらに小農民の状況は厳しく、社会のインフラも整っていないのではないかと思われる(右、国連世界食料計画の飢餓地図2012を参照)。そうした中で、伝統的小農民をその伝統的農法の発展に沿って支援するというのではなく、輸出向け大規模農業計画であるセラード開発を移植するという計画はあまりに無謀であると言わざるをえない。

JICAに言わせれば小農民の支援計画ですとかいうのかもしれないが、セラードでやっていたことを考えれば、それは言い訳にも焼け石に水にもならない。大規模開発をやってしまうことにより、そもそも社会の資本はそちらに傾いてしまい、伝統的な小農民の生きる社会的余地はなくなっていってしまう。そもそも社会的貧困が大きな課題であるモザンビークでこうした開発を行うべき理由があるのだろうか?

セラード開発計画の社会・環境的影響に関してもブラジルの現地の団体やNGOと十分評価できていない状態で「奇跡の開発」と宣伝し、それを社会的にさらに脆弱なアフリカ地域で展開するということにはもはや「国際協力」の名を使うことは許されないことではないか? ブラジルのアグリビジネスとモザンビークのわずかな富裕層とそして日本の商社によるWin-Win-Winにしかならないことに日本の税金を流し込むことは許されてはならないはずである。

大豆の未来と日本の食料主権

現在の日本の大豆の自給率はわずか5%ほどである。これをいきなり100%にできると考えるのはもちろん現実的ではなく、今後も日本は大豆を海外に依存しなければならない時期が続くだろう。しかし、果たして日本はいつまで大豆を輸入し続けられるだろうか? しかも有害性が指摘される遺伝子組み換え大豆ばかりとなりつつある。

大豆の耕作には膨大な真水が必要となる。大豆を輸入するということは水資源を持ってきてしまうことになる。こうした仮想水のとらえ方は今後、干ばつ傾向が指摘されている南米を考える時、重要になってくるだろう。干ばつ傾向が続き、日本への輸出余力は減っていく可能性がある。それはアフリカに広げたところで同じであろう。

こうした状況の中で未来永劫に大豆は輸入できると考えるのはあまりに楽観しすぎであろう。農業のフロンティアはやがて枯渇する。

日本の未来を考えるためにも、南米やアフリカでの破壊的な大豆の大規模生産ではなく、維持可能な大豆生産を日本で図っていくことが今、必要とされているのではないか? 破壊的な大規模農業開発をアフリカや南米で行うよりも、日本での維持可能な大豆生産を上げること、あるいはそうしたノウハウを世界と共有していくことこそ、本当の意味での国際協力となるだろう。

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オリジナルはKeynote版

“セラード開発を問う” への2件の返信

  1. ブラジルのセラード開発の中心人物たちが最近出版した『ブラジルの不毛の大地「セラード」開発の奇跡』という本はブラジルでは”Memória do Desenvolvimento do Cerrado”(セラード開発の記憶[思い出])というタイトルで宣伝されていることがわかった。まぁポルトガル語版作らないから不毛の大地という言葉は日本向けだけだということなんだ。
    ブラジル社会に向けて「不毛の大地」という勇気(?)はさすがにないらしい。

  2. 興味深いレポート貴重な知識として活用させていただきます。
    この種の開発のあり方が今世紀中に停止される世界的取り組みが求められるのですね。
    地球環境が持続性をもって維持されるとはとてもおもえません。紆余曲折、試行錯誤の連続でしょう。
    しかし求め続けていくことはしていかなくてはなりません。JAICAのスタッフがこれに能天気に
    関わりあっていることは問題です。友人にいるのでセラードの例とモザンビークでやろうとしていることについて投げかけてみます。

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