稲葉光國さんのビジョン

 民間稲作研究所の稲葉光國さんが今朝早く亡くなった。その報せに呆然として何も手に付けることができなくなった。
 稲葉さんがいなければ全国の学校給食を有機にするなんていうのは夢の夢だっただろう。いすみ市の学校給食のお米がすべて有機米にあんなに早くできたのも稲葉さんの技術指導なしには考えられなかった。稲葉さんの話を伺うと、日本の食を自給し、しかも有機にすることが夢物語ではなくなると思えてくる。日本のあちこちから、うちでもやりたい、という声が出てきていた。有機転換したい農家とそれを応援する消費者、地方行政が組むことで効果的な取り組みができそうだ、この動きを日本各地で、と胸は躍った。
 稲葉さんのやり方のどこが画期的なのか? 生態の詳細な観察に基づき、生態系の力を活用する方法。これはまさに今、世界がめざすアグロエコロジーの考え方そのものだ。雑草と闘わない農業とも言えるかもしれない。
 「有機で稲を作ろうと思ったら6月は除草で大変だ。除草剤を使わずに手で抜こうとしても、田んぼでは次から次へと雑草が生えてくる。何度も草取りで体力が奪われてしまう。だから、田んぼを拡げることはできないから有機では生きていけない」、となってしまう。
 でも、稲葉さんは雑草の種類ごとにその発芽する条件をうまくコントロールする方法を伝授してくれる。田んぼに水を張る前にタネをすくい取ったり、稲といっしょに発育するヒエの場合には田んぼの水を深くすることでヒエは簡単に浮き上がるという。だから田んぼの水管理をすれば田んぼの中に入って草取りをしなくてすむ。深水管理に耐えられる一本苗を作ることが必要になるが、そうした方法を研修会で伝えてくれていた。
 田んぼの準備は手がかかるものの除草の手間が省けると圧倒的に作業が楽になる。だから経営規模を大きくすることも可能で、その収入でやっていけるようになる。
 問題は売り先と転換の支援だ。一本苗を植えられる田植機の導入の支援と学校給食で一定の上乗せした価格で買い上げてもらえる保障ができれば農家も収入は増え、経営も安定し、有機への転換は可能になる。地域の強みもできる。それはいすみ市の例で実証されたし、木更津市でも進みつつある。
 小山市長となった浅野さんは稲葉さんについてこう語る。「日本の有機農家はみなそれぞれが求道者のように独自の方法にこだわるけれども、稲葉さんは自分が得たものをみんなに教えなくては気が済まない、根っからの教師なんだ」と。
 有機農家とは自然と対話する仙人のようなイメージがあるけれども、稲葉さんは同時に生物学者であり、そして、有機農業を実行するために必要な機械までも自作してしまう技術者でもあった。そして学んだものは喜んで他の人に与えようとする大きな理想を持った教師でもあった。
 日本は稲こそ自給しているが、大豆や小麦のほとんどは輸入に頼っている。しかし、稲葉さんによればそれは大幅に改善できるという。稲の有機栽培ができてしまうと、その裏作に有機の小麦栽培を成功させるのはとても簡単。さらに大豆との輪作をすることで肥料入れずとも効果的に土を豊かにできるし、収穫も増える。また雑草も輪作によって減っていく。稲が自給できているわけで、その裏作で小麦が栽培できればあっという間に小麦の自給も可能にできる。しかも有機でだ。もちろん、製粉所の確保など乗り越えなければならないなどの課題がいくつかあるものの、地域での取り組みを通じて、食の自給率の向上、地産化・有機化率の向上は十分可能であることを稲葉さんは力説していた。問題は市民、行政と農家がどういっしょに動けるかだ。
 種子法廃止以来の種子に関わる運動を通じて、この3つが合流できる可能性が高まっていた。ピンチをチャンスにできる! 今年はそんなところまで来ていたと思う。それに必要不可欠な技術を持つキーパーソンが稲葉さんだった。

 稲葉さんはどれだけ日本の食を変えることができるか、明確なビジョンを持っていた。でも、それだけにそれを実現するために大きな負担が稲葉さんにかかってきたと思う。これ以上、稲葉さんだけに負担をかけるな、と神さまが稲葉さんを天国に招いたということかもしれない。
 喪失感はあまりに大きい。改めて稲葉さんが抱かれていたビジョンを稲葉さんの言葉から掘り起こす必要を感じている。

稲葉光國さんの指導の様子やインタビューはDVDや書籍になっている他、YouTubeにも多数、講演やインタビューの様子が上げられている。

いのち育む有機稲作 循環型有機農業のすすめ DVDダイジェスト

あなたにもできる無農薬・有機のイネつくり―多様な水田生物を活かした抑草法と安定多収のポイント

民間稲作研究所
https://www.inasaku.org/

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