「遺伝」を超えてー継承と多様性のgen

言葉の問題は大きい。今回は「遺伝」という言葉。
 「遺伝する」というと日本語では親の影響が現れるという意味に取られるだろう。親からの継承というニュアンスになる。しかし、この言葉の元はgenだ。genはgenerate、生み出す、生成するという意味を持つ。地球に生まれた単純な生命はどんどん多様化し、新たな生命が生み出され、豊かになってきた。それを科学することが遺伝学(genetics)であり、それは親から子に継承されるものと同時の新たに親にないものを生み出すメカニズムを解き明かす、つまり継承と多様性というそれ自身、互いに矛盾し対立するような2つの方向を包含する学問である⁽¹⁾。
 
 生命は他からの攻撃から身を守り、自らの複製を作り出し、命をつないでいく。微生物による感染・乗っ取りからも自らの命を守らなければならない。だから命を不断に再生産させる仕組みである遺伝情報は固く守られている。そして、それを子の世代にしっかり継承させていく必要がある。
 しかし、変化を拒む継承だけでは環境の変化に対応できず滅んでしまう。環境の変化にどう対応するかが、大きな挑戦となる。

  遺伝子は固く守られているが、その発現を環境に合わせて調整するエピジェネティックな機構によって環境の変化にも対応することができる。不変と可変という相反する2つの機構が精妙に組み合わされている。親から子に伝わるのは遺伝子だけではない。親の経験(可変部分)もまた子に継承されることがわかっている。その積み重ねがやがて遺伝子の変異を含む進化につながっている可能性が指摘されている⁽²⁾。つまり、私たちの経験は将来世代の進化につながっているのかもしれない。環境や経験が生命をさらに多様にしていく。
  
 そして同時に生命は互いに敵対し合うだけでなく、共生することで互いの生存可能性を高めるだけでなく、新たな存在へと変わっていく。共生する生命を取り込むことによって、生命は多様に、豊かになってきた。単細胞生物が細菌を取り込むことで、多細胞生物になる力を得て、その細菌はその多細胞生物の一部になった。人の遺伝子のかなりの部分が細菌やウイルス由来であるとも言われている。共生か敵対か、相反する2つの違いがどう生まれたのか興味は尽きない。
 
 さらに有性生殖が誕生した。異なる遺伝的要素を持つもの同士が半分半分を子に遺伝子を提供することで、子の遺伝的要素は多様化することが可能になる。この仕組みはどのように生まれたのか? 恋愛はなぜ生まれる?
 親から継承しつつも子は親とは異なる存在になっていく。同じ親からも兄弟姉妹でまるっきり性格も違う子になることは稀ではないことを誰もが知っている。
 
 この継承と多様性、不変と可変の精妙なバランスが取られることで、重要なものは継承しながら、親にないものを子が作り出すことを可能にしていく、日本語の「遺伝」という言葉では表しきれない豊かなものがわたしたち生命を支えている。共生、継承と多様化が織りなす複雑な編み物として生命は広がり、発展してきた。
 そしてその豊かさの研究はまだ始まったばかりで、まだ人類はそのほとんど解明できていない。かつて叫ばれていたように、決して自然放射線で遺伝子がランダムに壊れて変異が生まれ、生存競争に勝ったものによって進化が起きるという単純で粗野な「進化論」ではこの多様さは説明できない、もっと精妙で、ダイナミックなgenとそれを取り巻く機構のおかげで生物は多様化してきたのだ。多様性を否定する保守主義も、特定のグループの優越を主張する人種主義もこの生命のダイナミズムを無視しているからこそ、自壊せざるをえない。現在の遺伝子工学とその産業的応用である遺伝子操作産業の隆盛はこのようなgenの豊かさをむしろ破壊するものでしかなく、その存在は政治力を失えば消えていくことだろう。
 
 最初の問いに戻りたい。「遺伝」という言葉に代わり、創造の意味をも持つgenを日本語で表現することは可能だろうか? 継承と多様性という相矛盾する要素をダイナミックに追求することは可能だろうか? 前者だけを強調する立場は人種主義、優生思想につながりかねない。日本語の「遺伝学」に何か恐ろしさを感じてしまうのはそんなせいかもしれない。でも、遺伝学や遺伝とはそんなものではなく、自由な未来に開かれているはずだ。
 
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(1) 『遺伝子とは何か? 現代生命科学の新たな謎』 中屋敷均 講談社
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000365022

(2) 東京大学:「先祖の経験を学ぶと、進化は加速する:学習が進化に与える影響を考察する数理的枠組みを構築」
https://www.iis.u-tokyo.ac.jp/ja/news/3769/

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