金子美登さん、追悼

 日本を代表する有機農家と言えば必ず出てくる金子美登さんの訃報。あまりに突然で言葉が出てこなかった。それほど親しくさせていただいたわけではなく、遠くからその姿を見る関係であったけれども、小川町に講演に呼んでいただいた上に、霜里農場を案内していただいたことは忘れられない。
 日本を代表する有機農家といえばどんな人をイメージするだろうか? 自然を愛する哲人? もちろん、それは間違っていないのだけど、金子さんは何でも手掛けるマルチな人だった。それはたとえば再生油で動くトラクター(写真)、畑で必要なエネルギーも自分が作る、トイレは一見普通のトイレだが、それも畑の肥やしになる、すべては循環する地域循環のシステムを作り上げるエンジニアであり、さらにそんな社会を夢想するビジョナリーだった。
金子美登さん
 
 何でもこなす、その人がいれば地域は回っていく、だから農家は百姓と呼ばれた。百のことをこなす百姓の理想型こそ金子さんの姿のように思えてならない。日本を代表する有機農家と言われるのに、まったく偉ぶるようなところが微塵もない。有機農業を続けるためにはさまざまな苦労があったはずだけども、淡々と語るその姿はあくまで自然であるから、周りも自然体でいることができる。農の実践のみならず、人との関係まで自然になる。
 
 日本が変われるとしたら、このような先駆者が存命のうちに、その生き方から学ぶ最後のチャンスだと思っていた。当然、金子さんの下には数多くの人が学びに入り、実践を続けている方々が日本全国にいる。希望は受け継がれている。
 
 お連れ合いの友子さんにはたびたび有機米や野菜を送っていただいた。どうやって、お返ししようか、なかなか思いつかず、いずれ感染症の状況が落ち着いたら何かしなければと思っていた矢先。美登さんにはお返しできなくなってしまった。
 
毎日新聞の記事(写真がとてもいい。文章も)
https://mainichi.jp/articles/20220926/k00/00m/040/191000c

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