化学企業が導入した化学肥料や化学合成農薬など化学物質を用いた農業は、土壌の微生物を撹乱し、土壌の崩壊を招くだけでなく、さまざまな生命を絶滅に追いやろうとしている。そして人びとも治癒が困難な慢性疾患に苦しめられ、生殖能力も失わいつつある。気候変動の大きな原因ともなっている。
生命を傷つける技術と科学ではなく、もう1つの技術と科学のあり方が存在している。農家の知恵との対話の中から生態系を守りつつ、その力を引き出し、最大限の栄養で社会を栄えさせる、アグロエコロジーがそれだ。これを活用することで地域が経済的にも発展できるも世界の多くの地域で証明されて、国連もアグロエコロジーの推進に転換した。そしてこの実践が気候変動を緩和、収束する力にも注目が集まっている。
破壊に向かう工業型農業と破壊から再生に向かうアグロエコロジーという2つの相反する方向に向かう岐路に私たちはいる。後者は現在、急激に世界で発展を遂げており、わずかこの10年で世界の多くの国の食品市場の姿を変えつつある一方、前者は世界の大きな反対の声の前に停滞を余儀なくされている。
しかし、この工業型農業はほんのわずかな多国籍企業によって支配され、彼らが世界政治に持つ力は絶大である。今、世界で進む自由貿易協定で彼らに有利な条約の批准を強制し、その結果、彼らの技術を使った農業が強制されつつある。
それがもっとも象徴的に進められているのが種子の分野である。多国籍企業は種苗育成者の知的所有権である育成者権の優越を定めたUPOV1991年条約の批准を自由貿易協定で押しつけている。TPP、RCEPなどの自由貿易協定に参加するために多くの国が批准の圧力を受けている。国内法で農家の種子の権利が奪われれば、その農業技術は失われ、工業型農業が強制されることになる。
特に世界の農民の74%がいるアジアが狙われている。
中国は膨大な農民人口を持ち、その種子のマーケットは大きな注目となっている。中国政府は日本に比べて、農民の種子の権利を今のところ認めているが、その政策も多国籍企業の圧力の前に風前の灯火になろうとしている(1)。もっとも中国では農民の種子を守るネットワークがすでに活動を拡げつつある(2)。
インドは種苗保護と農民の権利法を作った国でもあり、農民の権利においては一歩進んだ姿勢を取ってきた。しかし、インド政府は今年、1966年以来の種子法を改定する2019種子法案が登場している。この法案では販売する種子はすべて登録しなければならないというものだ(3)。登録されない農民の種子は排除されてしまう可能性がある。
インドネシアは今年9月に新たな種苗法案が承認されたが、そこで農民の種子の権利は不明確な表現で規制されることになった。政府の恣意的な政策に今後、農民の種子の権利が奪われることが懸念されている。
ラテンアメリカでの動きも目が離せない。メキシコなどの中米は世界のトウモロコシのふるさとだが、そのメキシコで種苗法の改悪案が持ち上がっている(4)。この改悪案の背後にあるのはTPPであり、米国・メキシコ・カナダ協定(米国ではUSMCA、カナダではCUSMA、メキシコではT-MECと呼ばれる)。メキシコもまたUPOV1991年条約の批准を押しつけられ、それに対応する法律を押しつけられている。それが成立すればメキシコの多様な種子は失われることが危惧される。
世界の生物多様性は南に集まる。今後、気候変動が進む中で、南の遺伝資源はさらに重要性を増していくだろう。実際にバイエル(モンサント)やダウ・デュポン(コルテバ)のような遺伝子組み換え企業や先進国の大規模種苗会社はこの南の遺伝資源を使って、数々の品種を開発してきた。生物多様性条約以降、遺伝資源を利用したものはその遺伝資源を持つ地域に支払い義務を負うことになったが、こうした企業はそれを果たさず、南の国の農民に知的所有権を払うことを求める。しかし、その結果、南に存在する生物多様性が減少する結果になってしまえば、世界はより貧しくなる。明らかに将来を奪う動きが強引に進められようとしている。
最近のゲノム研究の進展により、多国籍企業はもはや実際に存在する種子は不要であり、そのゲノム情報、デジタル情報さえあればよしとして、そのゲノム情報の独占に進もうとしている。ますます種子と結びつく人びとの権利は危うくされようとしている。
残念ながら、日本はこのような世界のまっただ中にいる。それどころか、これらの推進役となっているのが日本政府である。アジアでこのUPOV1991年条約の推進を促す活動を行ってきたのは東アジア植物品種保護フォーラムだが、これは日本政府が作ったものである。日本政府はTPPやRCEPでもアジア各国にUPOV1991年条約の批准に圧力をかけている。外国に圧力をかけると同時に種子法を廃止し、来年早々には種苗法改訂も予定している。
しかし、世界の農民はこの間、黙っていたわけではない。2001年、世界最大の農民運動団体であるラ・ビア・カンペシーナは人類に貢献する人びとの小農の種子を守るグローバルキャンペーンを立ち上げている。そして、世界のさまざまな地域で農民の種子を守る活動がこの20年ほどで大きなものになってきたことを確認できる(5)。
具体的には地域の農家たちが持つ種子を集めた種子バンクが増えてきた。その重要性から地方自治体や政府の支援制度も作り出した国・地域も出てきている。
そのいくつかの例をあげてみたい。
ブラジル北東部は半乾燥地帯である。水を大量に使う工業的農業の種子はまったく合わない。ブラジル北東部はブラジルでもっともアグロエコロジーが進んだ地域とも言われるが、その地域ではその半乾燥という気候に適した種子の保存運動がかなり前から進んできている(6)。種こそ抵抗の拠点であるとして、在来種の種子の保存に力が入れられている。
インドでは全国に多数の地域のシードバンクが作られ、多数の在来種の種子が集められ、保存され、活用されている。多くの種子を保存しているところは決して大規模な企業や研究所ではなく、小さな水田や畑を使った農家であることに驚く。ある小さな水田を持つ農園で、なんと1420品種が守られているという(7)。
英国でもさまざまなプロジェクトが進みつつある(8)。もちろん、上記の国に限らない。
遺伝資源はいったん失われてしまえばお終いであり、取り戻すことは困難。そして多国籍企業の活動が進めば進むほど、環境・気候は破壊され、そして人びとの健康と未来は奪われていく。これを変えるための場面は多重に存在する。国際的な交渉の場、そして政府・国会、地方議会、そして、最後の砦としての地域の場。同時並行的に進めていく必要があるだろう。
地域の真ん中にシードバンクが作れないものか。都市であれ農村であれ、その種子を生かして、土を守れば、地域での回復が始まる。産物は学校給食、病院、さらには地域のレストランやお店に提供できるだろう。
日本でも種子バンクが各地で生まれている。この種子バンクを守ることは現在の危機的な動きを反転させていく上での基盤となっていくことは間違いない。地域の支援、さまざまなレベルの公的支援、地域を越えた連帯を作り出して、発展させていきたいものだ。
(1) Grain: Asia under threat of UPOV 91
アジア各国の状況を包括的に説明している。
(2) 中国の種子の状況
(3) Explained: Sowing a new Seeds regime | Explained News,The Indian Express
(4) Red en Defensa del Maíz: No a la Ley Federal de Variedades Vegetales
(5) La Via Campesina: Peasant seeds, the heart of the struggle for Food Sovereignty
(6) 気候変動に抵抗する種子:As sementes que resistem ao aquecimento global
Guardiãs e guardiões de sementes crioulas partilham grãos como forma de resistência
(7) The Conservationist Saving India’s Heirloom Rice Varieties
(8) A food revolution starts with seed
ちょっと趣旨が違うが参考情報として
Wild seed collectors turn Indiana Jones in the search for resilient crops