日本のニュースを読んでいると息苦しくなる。世界の真逆を走っているのに、まるでそれが当たり前のような情報ばかり。このまま日本がこの方向に突き進んだらどんな事態となるか、暗澹たる気分になる。でも、ひとたび、日本語圏から離れると異なる世界の動きが見えてくる。希望を感じさせる動きが始まっている。でもその動きは日本と無縁なものではない。それどころか、かつて日本で始まったものであったりする。なんということだと思う。青い鳥は我が家にいるのにいつまでも気がつかず、あるいは地上にある星は誰も覚えていない、というところか。
「ゲノム編集」を含む遺伝子操作技術は食料生産の向上をもたらすと信じてしまっている人が少なくないようだ。人口が増える世界には不可欠、と。しかし、まず、これまでの遺伝子組み換え技術は食料生産の向上には寄与していないことは保守的な学会ですら認めている(1)。それに対して「ゲノム編集」では成長を抑制する遺伝子を破壊することで生産を増やせるというが、残念だが、それが実現できるのは限られた条件の中だけだ。なぜ、生命には成長を抑制する機能があるのかを考えてみればいい。それはその生命体が生き延びるために作り出した機能であって、それが壊れされた生命はもろくなるのは当然のことだから。光合成の仕組みに手を入れる方策もあるが、それもまた短絡した発想で、自然界の中では機能するとは思えない。
これまで、生物の成長に化学物質や遺伝子操作で介入することによって、生産が向上するとわれわれは信じ込まされてきた。しかし、その介入が一因となって、生態系は劇的な崩壊現象を引き起こしている。あと30年ちょっとで世界の土壌の90%がダメージを受け、ハチなど多くの植物を支える花粉媒介者を含む100万種を超える生物が絶滅してしまうと警告が出ている。微生物から昆虫、植物、動物にいたる生態系の連携を壊してしまえば、これは人の手には負えなくなる。ハチを必要としない「ゲノム編集」植物とか、ハチの代替ロボットとか開発に向かっているが、あまりに馬鹿げている。取り繕える範囲はきわめて限られている。短期間すら維持できないだろう。
人類の文明に懐疑的になってしまい、いっそのこと人など地球にいなければいいのか、そんな気分になってしまうかもしれないが、そんな時はアマゾンの先住民族がかつて残した土を見るといい。アマゾンの先住民族は炭や有機物を活用することで土壌細菌を育てる技術をすでに500年以上前に完成させていた。彼らが作り出した土(テーハ・プレータ、黒い土)は人の手が加えられない自然が作り出した土よりもはるかに多くの炭素などを含む生産性の高い土だった。土壌の中の生命を活発にさせる環境を作ることで生産性を上げることができる。彼らの文明は植民者たちの持ち込んだ病原菌で破壊されてしまったが、今、そのかつての技術が近年になって再発見されている(2)。
人は自然と共存することは可能で、そして自然は人がいることでさらに大きな力を発揮することができる。自然、多様性、豊穣性、これがこれからのキーワードとなるだろう。問題はそのような方向でこの近代、人類は発展してこなかったことだ。むしろその真逆に突き進み、危機的な事態を招いている。だから反科学ではなく、その方向を反転させること。
それができたら、今、警告されている生態系の崩壊、気候システムの崩壊という憂鬱なシナリオは変えることができる。そんなの夢物語だと思うかもしれないけれども、すでにその方法は存在している。今、動き出せば変えることはできる。必要なのは意志と行動のみ。すでに世界は動き始めている。
2020年はそのような動きが世界で弾け、大きく拡がる年になるだろう。日本もその動きに無縁ではありえない。果たしてわれわれは日本の中にある解決策を再発見しているだろうか?
(2) テーハ・プレータについて